『市長死す』というテレビドラマがあった。市長役をイッセー尾形さんが、また甥の市議を反町隆史さんが演じていた。題名に衝撃を受けて、つい見てしまった。というのも、私が地域新聞を始める時から親しくしてもらった町長が自殺したからだ。自殺とは考えられないと、私は今でも思っている。気の小さなところはあったけれど、合併後の新市の市長を目指していたし、政治家としてはしたたかな生き方を貫いてきた。俗世に対する執着は強かったから、まさか自殺をしてしまうとは思えなかった。
いろいろキナ臭いうわさはあった。長く町長の座にいたので、ワンマンになっていたことは事実だろう。私のアイディアをいつも取り上げ実行してくれ、兄のように親しくさせてもらっていた。「政治家は酒が飲めないとなれない。だから飲む訓練を必死でしてきた」と言っていた。カラオケも一生懸命だった。「自分を馬鹿にできないようでは人に溶け込めない」と、下手を承知で歌っていた。演説もカラオケも次第にうまくなっていった。バーに行っても歌わなかった私を自宅に呼び、「カラオケセットを貸してあげるから、練習しなさい」と言った。
一人前以上の地位にある男が自ら命を絶つのは余程のことがなければならないだろう。考えに考え抜いた上での結論だと思う。自分が死ぬことで、何かが守られるのであれば、あるいは達成されるのであれば、死も意義があるだろう。もし、町長が本当に自殺したのなら、きっとそんな風に考えた末の結論であったはずだと私は思っている。「あんたは真面目すぎる。それがあんたの生き方だからそれでいいが、それでは政治の世界では生きていけん」と、言われたことがあったけれど、私に説教するというよりも自分の苦しさの発露だったのだろうか。
松本清張の没後20年特別企画のドラマだったけれど、私が期待したような松本清張らしい社会性はなかった。市長になる前、海外勤務先で知り合った女に惚れてしまった。クーデターがあって、会計の男に女の安全と隠し金の5億円を託したが、男も女も5億円も消えてしまった。それがある時、全く偶然に見ていたテレビに女が映っていた。そこでその女がいる温泉町にやってきて、男に川へ突き落とされて死んでしまう。それを反町さんが演じる市議が真相を暴いていく話である。
海外視察は止める。市政は市民のためにある。そんなことを言う市長が、議会中に5日間も無断で休むなんて絶対に考えられない。市長は、男に「5億円のことはもういい。女を私に返してくれ」と言う。男は「女はあなたに惚れてはいない」と言う。女が市長に親切だったことから、市長は惚れていると一方的に思い込んでいたのだ。市長の「老いらくの恋」は妄想で、女は市長に惚れていたわけではなかった。こんな市長のどこがよくて市民は投票したのだろう。なぜ、市長になったのか、その点も分からない。市長は堅物だと言われていたけれど、ただの思い込みの激しい年寄りに過ぎないようで、ちょっと可哀相な気がした。
ドラマの最後は、女が男にも見切りを付けて、温泉町から新たに出発していく場面だった。一途に女を好きになった市長に対して、女は「気持ち悪い」と吐き捨てた。松本清張ドラマも「女は恐い」というだけの安っぽいものになってしまった。