友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「今日は何の日?」

2012年04月19日 21時47分39秒 | Weblog

 私が少しの間、手伝いに通っていた介護施設では、「今日は何の日」を紹介することから一日が始まった。スタッフが調べてきたことを話すのだが、知っていることなら次々に話が膨らむけれど、あまり知られていないことだと、「へぇー」で終わってしまう。お年寄りは昔のことはよく覚えていて、戦争の頃やその直後の話になると盛り上がる。その時の印象が強かったのか、私はブログのネタが見つからないと、「今日は何の日」を調べて、そこからヒントを得ようとする。

 今日は忙しかった割にはこれというものが思いつかなくて、「何の日」を調べていたら、命日の話ばかりだった。今日はバイロンの、明日は内田百聞の、昨日はアインシュタインの、一昨日は徳川家康の、という具合である。この4人の中で一番よく知られているのは徳川家康だろう。その次はアインシュタインだろうが、科学者で相対性理論を打ち立てた人であることは知っていても、相対性理論って何かと聞かれて答えられる人は少ないと思う。ドイツ生まれのユダヤ人である彼はアメリカ大統領に原子爆弾の開発を勧めた手紙を出したことは知られていないし、死ぬ直前までそのことを悔やんでいたことも知られていない。

 バイロンは名前を聞いたことがあっても、どういう人なのか私は知らない。「われは群れと交わることを侮ってきた。たとえ、その首領となること、そしてその群れが狼のそれであろうとも。獅子は孤独だ。われも孤独だ」。「私は世間を愛さず、世間も私を愛さなかった。私は世間の口におもねらず、その偶像の前に膝を曲げなかった」。ロマン主義の代表的詩人で、稀にみる美貌の持ち主、自由奔放に数々の恋を重ね、ギリシアの独立戦争にも参加し、波乱に満ちた生涯を送ったという。この詩や言葉を読んだだけでも、詩人の孤独と自尊心の強さがわかる。

 内田百聞は夏目漱石の門下生で、芥川龍之介と同世代の人のようだが、私は初めて知る。徳川家康は同じ愛知県の出身というだけで、身近に感じるのだから不思議だ。戦国時代に終止符を打ち、武家政治を確立した家康だが、織田信長や豊臣秀吉という先人がいたからだとは誰もが認めるところだろう。狸おやじとか、権力を手に入れるためには何でもする人と非難する声もあるけれど、信長や秀吉から学んだものを生かしていく能力は極めて優れている。権力を手中に収めると、歴史から学ぶ姿勢は、薄らぐのが常なのかも知れないが、家康はそうではなかったところが、今日の民主党と違うところだろう。

 秀吉は豪華絢爛さで人を圧倒したけれど、それではお金がかかり、身の破滅を招くことになる。自分は質素倹約に努め、諸大名には参勤交代でお金を使わせ、反旗を翻す資金を無くさせた。名古屋の人が豪華な結婚式をするのに、家康の生まれた三河では質素を重んじた。それは濃尾平野では豊な実りが期待できたけれど、三河台地では米の収穫があてに出来ない地域性にあったと思う。

 ちなみに私の生まれた4月16日は、チャップリンの誕生日でもある。何だかちょっと鼻が高くなった気がした。

コメント
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