待つことを 我は選びぬ 夜の街に 風と風との 出会ふ音する
歌人の栗木京子さんの作である。解説がないので間違っているかも知れないが、恋の歌であろう。どんなに努力しても届かない恋もあるから、諦めなければならないが、努力と諦めの次に考えられるのは待つことである。この歌では、待ち合わせの時間が過ぎているのにまだ恋人が来ない、それでもう少し、あと10分待ってみようと決めた。夜の街には風が吹いてきて、そんな風が出会う音がする。寒い、早く来て欲しいと恋人を待っているのだろうが、恋の成り行きを待っているとも取れる。
この歌に触発されて、私も作ってみた。
山茶花に 冷たき風が 突き当たり 春待つ我は 身も凍るよう
待つだけが ただひとつの 道ならば 春まではあと 少しとぞ思う
短歌は31文字で作らなくてはならない。俳句のような17文字に比べれば、14文字も余計に使えるのだから、感情をこめることができる。私には俳句は短すぎて、標語のようで伝え切れない。短歌はわずか14文字多いだけで、情景の描写だけでなく、心の内を匂わせることができる。栗木さんの歌が恋人を待っているのだと思ったので、私は恋人を春にたとえてみようと思った。寒風の中で咲いている山茶花、見ている私は春を待ち望んでいるが身体は凍りつきそうだ。待つ以外に手立てはない。待てば必ず春は来るだろう。
けれども待つだけの恋は悲しい。そこで、
苛苛と 待つだけの愛 寂しいと 告げてみたいと 時には思う
こんな風にストレートな表現よりも、春を待つという方がいいのだろうか。情景描写だけなら
雪道に 山茶花の咲く 垣根あり 赤い花にも 雪積もりたる
次々と 舞来る雪に 街は今 銀世界へと 変わりゆくらむ
山茶花の赤い花の上に、白い雪が積もっているというだけであるし、雪が降ってきて瞬く間に銀世界に変わってしまったというだけで、別に面白くない気がする。そんな雪が溶けて道が汚れてきた。通る人たちは汚れないようにと歩いていたので、
雪どけの 泥道のように 嫌われて 恋は夢から 消えていくよう
雪が溶ける時はどうしてあんなに汚くなるのだろう。恋の終わりも夢から覚めていくように、雪が溶けていくように儚い、そんな風に歌いたいのだが、どうも観念的である。
それではこんな老人だから作れる歌はどうだろう。
親友が 友だちとなり 知人へと 変わりゆくなり 老い深まりて
老いてなお 求めることの 虚しさは 人の優しさ 人のぬくもり
お口直しに石川啄木の歌を2首添えておく。
たわむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
はたらけど はたらけど猶 わが生活楽に ならざり ぢつと手を見る