友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

袖振り合うも‥

2012年02月18日 14時47分53秒 | Weblog

 中学時代から仲の良い友だちに、「たまには会って酒でも飲もうよ」と言いたいけれど、彼はコレステロールと尿酸の数値が高いとかで、薬を飲んでいる。「服用を忘れがちになる外食は、少なくとも次回の診察日である5月10日までは控えなくてはならない」と言う。健康を害してしまっては元も子もないので、誘うことは出来ない。血圧は118-68で脈拍数は56というから、同年齢の私からすれば、理想的な数値なのにである。

 

 病院通いであったり、寝たっきりであったり、歳を重ねるといろんなところが痛くなり悪くなる。私の胸の痛みは相変わらずだけれど、酒は飲めるし身体は動く。バタンといかない限りこのままでいいだろうと勝手に決め付けている。毎日タバコを吸っていた先輩は、「タバコを吸っても吸わなくても、お迎えがくる時はくる。無理して止めて、ストレスで病気にならんとも限らない。好きなことやって、死ぬなら本望だろう」と口癖のように言う。

 

 先輩は元気で、74歳を迎える今もよく動く。「なあーに、身体よりも口が達者なだけだ。口も動かなくなったらおしまいだ」と笑う。彼は「病気の原因は全てストレスにある」と言明する。「感染症の菌は空中にいっぱいあるが、病気になる人とならない人がいる。ストレスの多い人は病気になりやすいのだ」。なるほど、その説は一理あるだろう。先日のNHKテレビでも、腰や膝の痛みはストレスからくると言っていた。楽しいことがあれば、痛みはなくなるとも言い、笑って(リラックスして)歩けばウツ病も治ると。

 

 人間はとても高度に発達し過ぎたのだろう。そのおかげで今日の文明を築けたけれど、その代わり心は繊細で壊れやすくなった。道徳や固定概念にとらわれずに、無軌道で無秩序に生きたなら、きっと病気の方が遠慮するだろう。けれどそんな勇気はないし、そうなった時の自分が恐いから誰も踏み出さない。医者の勧めにしたがって、毎日薬を飲み、食生活に気を配り、規則正しく道徳的に振舞うのだ。

 

 中学時代からの友だちとは酒が飲めないけれど、今晩はこの街の同じ歳の人たちと集まりがある。60歳を迎えた時に社会福祉協議会が主催して集まりを開いてくれた。それから毎年、この2月に開催してきたが、中心となってくれた人が他界したため、私が代表幹事を務めることになった。よそ者である私だが、「よそ者の方がいいから」と皆さんが言うので引き受けた。特別に何をやるということはなく、集まって酒を飲み、カラオケや手品やかくし芸を楽しむだけである。

 

 人生はこんなものだろう。意味など求める必要はない。袖振り合うも‥と言うではないか。じゃあ、行ってきます。今日のスピーチはこれでいこう。

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