友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

宅急便

2012年02月02日 19時47分02秒 | Weblog

 

 朝起きると銀世界だった。気温も低くて、風こそ無かったけれど空気は冷たかった。雪が止むと小学校の運動場から子どもたちの大きな声が聞こえてきた。積もった雪を丸めて雪合戦をしている。元気がいいなあーと、私は暖房の効いた部屋からはしゃぎ回る子どもたちを眺めていた。雪はいい、何もかも覆い隠し、穢れの無い真っ白な世界を見せてくれる。大雪のために交通網は遮断され、各地で事故が起きている。雪かきをしていて転落し死亡する事故も起きている。秋田県の玉川温泉では岩盤浴中の人が雪崩に巻き込まれて亡くなっている。雪国の人は雪を恐いと言うけれど、たまにしか見ない雪景色を私は美しいと思ってしまう。

 

 お昼近くになって雪は止まった。太陽が顔を出してくると、たちまち雪は溶け出して路上はべたべたになる。運動場も黒い土が露になり、残っている雪も泥をかぶって醜い。あれほど美しいと見ていた景色が一変し、なんともやりきれないまだら模様となる。人の世も同じか、いや人生そのものもこんな風に美しい時もあれば、泥にまみれて醜い時もある。それでもまた美しく輝いたり、光を失ったり、そんなことの繰り返しだ。執着しなければ、ほどほどに生きていけるし、美しいものを求めなければ、そこそこの風景しか見ないですむのかもしれない。人の欲が美しくも醜くもする。でも、欲が無い人生などあるのだろうか。

 

 5日に長女夫婦のところにダンナの家族が来るという。カミさんは長女のダンナとお父さんにバレンタインチョコを贈るので、どれがよいか選ぶのにいっしょに行ってと欲しいと言う。高校2年の孫娘とも待ち合わせて、チョコを決めた。次女のダンナにも贈るというのでチョコを選び、続いて「あの子は赤味噌が欲しいと言っていた」というので、食品売り場で赤味噌と信州味噌を買う。チョコと味噌だけでは物足りないからと、我が家にあったワインもいっしょに贈ることにする。きれいな化粧箱にこれらを詰めようとしたが無理だった。「じゃー、ちょうどいいくらいのダンボール箱がある」と見せるが、大きすぎるとか汚いとか文句を言い出す。「でも、これしかないから」と私はカッターナイフでダンボールを切り、うまく収まるように作り直す。

 

 「本当にセンスが無いのだから」とぶつぶつ言われながら、まあまあきれいなギフト箱が出来上がった。カミさんは小言を繰り返しながらも買ってきた包装紙で仕上げた。自分で選んだ包装紙なのに、「お葬式の箱みたいかしら」と不安そうに言う。「そんなことはないよ。立派な誕生日プレゼントだよ」と納得させる。善は急げとばかりに宅配便の集積所へとふたりで持って行った。受付の女性が「中身は何ですか」と聞く。「ワインとチョコと味噌です」と答える。「ワインですか」と困った顔をして、「ちょっと中を見せてもらっていいですか」と包装紙のセロテープをはずしにかかる。あんなに注意して包んだ包装紙が破れてしまう。カミさんは覚悟を決めたのか、「破っていただいてもいいですよ」と言う。

 

 結局、ぶつぶつ言われながら私が作り直した箱は捨てられ、宅急便のお酒専用の箱に変わった。ワインや味噌を包んだダンボールも捨てられた。あの格闘は無残にも跡形なくゴミ箱行きとなった。それでもカミさんの誕生日とバレンタインを祝った手書きのメッセージは、大事にその中央に納められたからありがたかった。

コメント
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