友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

社会を変えるのは年寄りの務めか

2012年02月07日 19時03分31秒 | Weblog

 年寄りが集まると、政治の愚痴か人の悪口が多い。でなければ、誰それが入院したとか、「いやそいつはもう死んだ」とか、暗い話ばかりである。「田中防衛大臣の答弁は全くダメだ。あれで大臣が務まるなら、私がやった方がまだましだ」と言っていられるのも、当事者では無いからで、次から次へと弱みを突かれたら冷や汗で震え上がるだろう。年寄りはテレビをよく見ているし、新聞も隅から隅まで読んでいる。こういう人たちが真剣に社会を変えようと思ったら、相当な力になるだろう。50年も60年も前なら、学生たちが国家を変えるつもりで戦っていた。しかしそれは、つもりの領域から出なかった。

 

 でも今、年寄りは自由な時間と多少の金銭を蓄えている。どういう社会こそが造られなければならない社会かも、それなりの知識があり経験からも分かってきている。昔の学生たちよりもっと大きな力を持っている。でも、やはり動かないだろう。悪口は言えても、自らの身体を使って、社会を変えていくエネルギーを結集するほどの燃えるものがない。小泉改革で派遣法が変わり、使い捨ての労働者が生まれた。シルバーもそこに組み込まれ、若い人たちの働く場を奪っている。シルバーは多少賃金が安くても小遣い稼ぎだからいいが、若い人は生活が懸かっているから大変だ。そう思ってはいるけれど、やはり小銭は欲しいので安い賃金で働く。

 

 「生活保護を受ける人間が増えているそうじゃないか。いったん、生活保護を受けると働かなくても生活できるから誰も働かんと言うぜ」と社会保障制度を危惧する。ソ連の崩壊をモスクワ大使館で見ていた休職外務事務官の佐藤優さんは、「人間は動物として食べていくことができれば満足するという存在ではない。自らが生きていることに、何らかの社会的意義があるということを感じていなくては、生きることができない人々もいる。(略)『自由かパンか』という定式は完全な誤りであり、『自由もパンも』というのが、人間の自然の要求であると感じた」と述べている(『テロリズムの罠』より)。

 

 みんながそれぞれに苦労を負担するのであれば、人は協力し合うだろう。人類がここまで生き延びてきたのも、「協力できる」力を持っていたからだと人類学者は説明している。平等も全く同じでなければいけないわけではなく、それなりにでよいという認識が私たちにはある。1%の人に何億何兆もの富が集中し、一方で住む家の無い人がいる。苦しい人に富を分けても1%の人は決して困らないはずだ。いろんな人が居て、人の社会は成り立っているけれど、「助け合う」ことは人が生きていくための基本と考えよう。そのためにどうするか、みんなで考え決めていこう。

 

 役人は新しいことを始めたがらない。政治家は当選することしか考えない。若者たちは希望が無いので、税金や年金を払いたくない。いや、そればかりか働く場所さえない。「何でもいいじゃないか、我々も与えられた仕事を夢中になってやり、それが自分の仕事になった」と、年寄りは自らの経験からそう言う。けれど、若者たちは動けない。社会に求めること事態が無駄だと思っている。そうなるとやはり、年寄りの出番である。社会を変えるのは年寄りの務めと立ち上がろう。腰が立たない?やっぱり年寄りには無理か。ならば黙って若い人に従っていくしかない。

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