goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

鉢植えの木々をどうするか

2008年08月19日 23時06分49秒 | Weblog
 私の住むマンションは既に30年経ている。この間に外壁塗装、配水管の取替え、エレベータのリニューアル、ドアの取替えなどを確実に行なってきた。古いマンションにもかかわらず珍しいくらいキレイで、人気があるから中古の相場も高い。中古を買い求めて自分の思うようにリフォームすれば新品同様のマンションになる。

 今年また、マンションの外壁塗装が始まった。私の住む棟は来年になる予定だ。そこで、問題となるのが我が家の植木鉢だ。大きなものは直径が50センチ、高さも45センチある。その鉢は、高さ1メートルくらいのデイゴの鉢が1つ、椿の鉢が2つ、金木犀の鉢が1つ、杉の鉢が1つの計5つある。その次の大きさの鉢は、バラが1つ、ランタナが2つの計3つある。そしてその次のものはと数えだせば切りが無いほどの鉢がある。おそらく13号鉢以上のものが50鉢はあるだろう。それより小さいものも数多い。

 これらの鉢植えの樹木をどうするかである。草花は1年草がほとんどだから、抜き取り、土は袋に入れて処分すれば、時間さえあれば何とかなる。となると、木々が育っている鉢をどうするかにかかっている。「工事がどのように進められるのか、わからないから何とも言えないけれど、最終的には大きな鉢の木々はマンションの自治会にもらっていただくのがいいのではないか。庭を管理している緑花クラブに差し上げ、庭に植えてもらうのが一番いいと思う。もちろん、欲しい方があればもらっていただいてもいい」。

 私はこれらの木々がゴミになってしまうのは、何とも寂しい気がするが、人手に渡るのはそれほど苦にならない。するとカミさんは「あなたのそういうところが嫌い!」と怒り出した。「計画もなくどんどん買ってきて、困ったからもう捨てるという、そういう考え方はおかしいのよ」と指摘する。多分彼女からすれば、いつも先の見通しのないままに好き勝手なことをして、最後はみんな無くしてしまう、そんな私の身勝手さに腹が立つのだ。

 投資したお金だって馬鹿にならないのに、じゃあいいやと人にあげてしまう、あるいは捨ててしまう、そんなことを平気で行なう金銭感覚が理解できないというわけだ。私は、確かに毎年花を楽しむためにそれなりのお金は投資したけれど、眺めることで充分楽しんだと思っている。だからゴミのように扱われるのは寂しいが、人にもらってもらえるなら、あるいはマンションの庭を飾ることになるのなら、それで充分満足である。

 それでもカミさんの言うように、衝動的で無計画で先の見通しのない私の趣向は困ったもので、彼女の悩みの種であろうことは私も理解できる。しかし、じゃー直せるのかとなると、やはり出来ない。自分ながら困った男だなと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする