友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

集中豪雨の被害

2008年08月29日 21時38分36秒 | Weblog
 昨夜はものすごい雷雨だった。14階建てのマンションが大きく揺れるほどの地響きだった。窓の外を見ると、稲妻がまっすぐ地面に突き刺さるように光った。次には真横に大きく広がるように走る。この世の最後はこんなものかと思われるようなすさまじい様相だ。天と地が荒れ狂い、雨はますます激しく降り注ぎ、地表はたちまち泥沼となる。

 孫娘は一人で寝るのが怖いと言って、我が家にタオルケットを持ってやってきた。その彼女のケイタイに同級生の女の子から、飼っている犬が「雷を怖がって眠らない」と電話が入る。もうすぐ午前1時だ。このまま豪雨が続けば、明日の朝目覚めた時はマンションの周りは湖のごとき様かと思った。それで今朝、目が覚めた時は周囲がかなり明るかったので、杞憂だったなと思ったがそのとおりの結果だった。

 明るい日が差し込んでいたし、風もなく穏やかだった。カミさんは友だちとゴルフに出かけていった。私は孫娘を起こし、一緒に食事をする。あんなに激しかった豪雨の爪あとはこの辺りでは見られなかった。ところがテレビをつけると、あちらこちらから被害が伝わってくる。孫娘の父親の実家は「大丈夫だろうか?」と心配するので、「電話してみたらいい」と言う。するとばあちゃんのところではなく、父親に電話をして状況を聞いていた。

 ばあちゃんも直接電話をくれたならきっと喜んだに違いないが、彼女にとってはしにくかったのだろう。長々と電話で話していたことでわかったのは、被害そのものはなかったけれど、とにかく雨と雷がすごかったこと、道路はまるで川のようで、そこを走るのは大変だったということのようだった。

 最近の雨の降り方はおかしい。まるで一点集中型の降り方だ。激しい恋のような雨降りに私はなんとなくウキウキするけれど、豪雨で被害に遭われた人にとっては恐ろしい雨降りというものだろう。短い時間に大量の雨が降り注がれるから、排水が間に合わなくて、道路はたちまち冠水する。そして場合によっては床下あるいは床上浸水となったり、地下鉄や地下街まで襲い掛かっていく。

 都市型浸水被害は近年の特徴だ。海抜が低いというよりも、都市の中の水の溜まりやすい地域が浸水されやすい。考えてみれば当たり前のことだ。都市は雨水を貯留するところがない。道路の表面はアスファルトで覆われ、各自の家庭も土が見えている部分がどれほどあるだろうかと思うほどだ。降った雨はそのまま側溝を流れ、下水管に、そして本管へと流れていくけれど、全ての雨水がここに集中するから当然想定外となり、排水しきれない水が辺りに溢れ出す。

 田んぼがなくなったし、道路も空き地もアスファルトかコンクリートで覆われ、緑地帯はホンのわずかしかない。これでは雨水が地下に染みていくことはできない。土はますます乾燥し、都市の温暖化は避けられない。雨が降れば、集中豪雨となるばかりか、都市型浸水被害を生む。これもまた、人間が創り出してしまった結果だ。人間が責任を取る以外にない。
コメント
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