友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

サザンのライブとオリンピックの閉会式

2008年08月25日 21時14分33秒 | Weblog
 昨日、名古屋都市センターの会場から戻ると、カミさんはWOWOWで実況中継されている『サザンオールスターズ“真夏の大感謝祭”30周年記念LIVE』を見ていた。「『篤姫』も見たいし、オリンピックの閉会式も見たい。開会式が見られなかったから絶対に閉会式は見たい」と言い、「でも、どうしよう?」と思案していた。

 カミさんがサザンにこれほど関心があったとは知らなかったが、「職場の同僚が追っかけやっていたし、学校でも子どもたちが合唱曲に選んでいた」と言う。サザンの桑田佳祐は1956年生まれの52歳だから、ファン層も同じくらいの年代かと思うけれど、我が家の34歳の次女もサザンのライブに出かけると言っていたし、昨日のライブを見ても参加者の年齢層の幅は広いように思った。

 サザンの歌詞には惹かれるものもあるが、やはり私は桑田の歌い方がすんなりとこない。カミさんは「吉田拓郎のライブもテレビで見たけれど、この桑田佳祐はすごいわよ。こんなに何時間も歌いっぱなしでホントにすごいエネルギー。これを見た人はたまらないと感じるわね」と手放しで評価する。「やっぱり、フォークじゃーここまで盛り上がらないわね」。なるほど、雨が降りしきる中にもかかわらず、桑田は休むことなく、歌いまくり、走りまくる。

 北京オリンピックの閉会式の夜のライブだ。相手は国を挙げて、国の総力とお金を注ぎ込んで、閉会式を盛り上げるであろう。桑田はこれに初めから対抗するつもりだったのではないか、そう思うような演出だった。私はサザンをよく知らなかったけれど、桑田は志村ケンのように、SEXを連想させるようなエロチシズムな演出をしていた。50代の男ならこんなものかと思うけれど、ライブに来ているのは男ばかりではないし、子どもだっているから、ちょっと意外な感じがした。

 夜9時から、北京オリンピックの閉会式が始まると、カミさんは北の部屋と南の部屋の間の廊下に立ち、2つの大型テレビを交互に見る離れ業をやっていた。「サザンの方は録画できないけれど、閉会式は録画できるよ」と言うと、「それならしておいて!」ともう心ここにあらずだ。その録画の閉会式を、今日見たけれど、サザンと比べるようなことを書いてしまったが、全くケタが違った。閉会式は見事というよりも、よくまあーやるねと思った。中国が「国の威信」をかけてオリンピックを開催したその意気込みはよくわかった。

 「国の威信」をかけてスポーツは行なうものなのか?そうしなければならない根拠がどこにあるのだろう。スポーツはたかがスポーツである。私は、テレビを見てたくさん泣いた。息子に向かって名を呼び続けた選手、男子400メートルリレーで3位入賞を知り抱き合った日本選手たち、あるいは男子マラソンで走っている最中に、1位になった選手に自分のドリンクを渡した選手を見た時、そしてまたその1位の選手がマラソンの入賞賞金で母親にトラックターを贈った話を聞いてなど、涙を流した場面は数知れない。

 スポーツの素晴らしさは、選手が一生懸命に頑張る姿だ。そこに人々はそして私も感動する。また、表に出ない色々なエピソードに感動する。私を泣き虫だと笑う人もいるけれど、感動して泣けるっていいよねと言ってくれる人もいる。明日は、長女と孫娘がバンコクの次女のところから帰ってくる。
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