友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

北島康介の金メダル

2008年08月11日 22時30分34秒 | Weblog
 夏祭りの後片付けで一日が終わってしまった。ただただビールが飲みたい、飲んで何もかも忘れていたい、そんな気分だった。今晩は我が家のルーフガーデンで、久しぶりに私とカミさんと長女と孫娘の4人で晩御飯となった。私がビールを飲んでいると孫娘が「よくそんなに毎日飲めるね」と批判を込めて言う。あえて、反論はしなかったけれど、もうヘトヘトでだからこそ飲んで気分を持ち上げたいのだと思う。

 祭りというのは、準備に一日かかり、後片付けに一日かかる。それがこれほど負担に感じるのはやはり歳を取ってきたからだろう。いや、負担はいつもあったはずだから、それが気になるのは楽しさよりも他のことが大きいのだと思う。私たちのモットーは「楽しむ」ことだったはずだ。楽しんで祭りに参加し、そこで利益が出たなら、またみんなで飲んで食べて楽しんでしまおうと決めたはずだ。

 気のいい仲間だからこそ、これまでやってこられた。今年は確かに2週に渡り3日も祭りがあったけれど、そのために疲れたことは事実だろうが、やはり私たちが歳を取ったということが大きいように思う。販売種目をもう少し限れば、負担はかなり軽くなるが、それだけに利益は少なくなるだろう。それは当たり前の経済原則だから、受け入れるみんなの心の準備が要る。けれども、いつかはそうしなくてはならない。

 北京オリンピックで北島康介選手が金メダルを取った。するとすぐに「また涙でちゃうの!?」と冷やかしのメールをくれる人がいる。その報道は見聞きしていなかったが、後でテレビのニュースで見たけれど、恥ずかしながらそのとおりだった。でも一生懸命に努力した人が報われる結果を得たのだから、本人は当然うれしかっただろうし、その結果流した涙を見て泣けない人はいないのではないだろうか。

 スポーツは勝敗があるものだけれど、そのわずかな差をそんなに大きく意識することはないという私の自論を変える気持ちは全くないけれど、勝負に勝った者の言葉や負けた者の言葉は、多くの人に感動を与えることも事実だ。それだけそこには純粋な真実があるように思う。

 疲れて、誰かに何かを話したい。いったい何をどう語るのか、全くわからないけれど、人というものはそういう甘えた存在のように思う。谷亮子選手や中村美里選手、いやオリンピックに出場し、既に結果が出てしまったそれらの選手は今、何を思っているのだろう。
コメント
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