友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

終戦記念日に思う

2008年08月16日 20時50分03秒 | Weblog
 8月15日は終戦記念日。朝日新聞と中日新聞で、どんな風に扱われているか興味があった。結果は想像していたとおりで、朝日新聞の扱いは小さなものだった。朝日新聞は大きく変わった。昔のような強い反戦主張は無くなった。常識的な新聞というよりも無力な新聞になりつつある。新聞としての常識では、今日では中日新聞の方が上を行っている。「戦争」とはどういうものなのか、知らせていこうとする姿勢がある。朝日新聞にもう少し奮起してもらいたいが、上層部が変わらないとダメなのかなと私は悲観的だ。

 その朝日新聞の書籍の広告欄に『軍隊のない国家』(日本評論社、1995円)が掲載されていた。「世界には軍隊のない国家が27カ国ある!全ての国を訪れ、調査・観察。国家とは、軍隊とは何かを考える異色の旅行記」とある。中米のコスタリカが軍隊を持たない国家であることは知っていたが、世界に27カ国もあるとは知らなかった。

 日本は憲法で「国権の発動たる戦争と、武力のよる威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。この目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているのに、自衛隊という世界でも上位にある軍隊を持っている。日本は「軍隊のない国家」なのだろうか?

 友だちがブログで「終戦記念日」に触れていた。戦後生まれである彼は「残念ながら、戦争の悲惨さや戦後の食糧難は体験していないので、とやかく言う資格はないかもしれない。が、語り継がれてきたことを若い世代につたない言葉かもしれないが伝承することはできる。」と言う。「戦争。これに進む議論の経過には必ず国益があるようである。膨大な国益があろうとも戦争に至る準備の費用、戦費、後始末の費用、それに優秀な若者の喪失は、長い目で見れば大きな損失である。勇ましい意見は、議論に勝ちやすい。冷静な判断と長いスパンでの思考が今必要ではなかろうか」と。

 私も終戦時は1歳で、戦後の食糧難の覚えもない。終戦を14歳で迎えた人の体験談は戦争の現実を物語っていた。空襲で防空壕へ避難した時だ、まだ押さない子どもを連れた若い夫人がその壕へ走ってきたところ、中にいた軍人は残酷にも入るのを阻止したそうだ。国民を守るための軍隊が、国民を死の世界へ追いやる光景は忘れられないと言う。イザとなればそんなものなのか、愕然としたそうだ。フィリピンで医者をしていた日本人が、日本軍に殺された。戦闘の中で、疲弊した心は荷役の中国人青年をスパイだと銃剣で刺し殺す。沖縄戦では子どもは泣くからと軍人から殺せと命令される。

 けれども、戦争を計画し作戦を立てる人々はいつも戦地からかけ離れた安全な場所にいる。東条英機の終戦間際の日記が新聞に掲載されていたが、戦争責任者としてできるだけ多くの国民の命を救いたいという気持ちは全く見当たらない。まだ、戦えると思っているのだから滑稽そのものだが、こういう人を指導者に選んだ人たちもまた、責任があるだろう。

 中国と日本の大学生の討論で、中国の学生が「日本人はよく軍部の独走などといった逃げ口上を用いるが、我々から見れば日本は日本、別物ではない」「戦前と戦後の日本の体制は連続しているのではないか」と言うのは、よくわかる。私たちはもっと厳しく現実を見なければならないと思う。先の友だちが言うように「オリンピックにかき消されないために!」。
コメント
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