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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

北京女子マラソン

2008年08月17日 22時12分15秒 | Weblog
 北京オリンピックの女子マラソンが行なわれた。オリンピック2連覇の期待を背負い、最も注目されていた野口みずきさんは、左足太ももの肉離れのため直前に出場できなくなった。補欠の人も体調不良だったかで棄権していたから、結局は残る土佐礼子さんと中村友梨香さんに期待が集中した。その土佐さんは外反母趾に痛みがあったのに、これをかばって走り続け、とうとう途中棄権せざるを得なくなった。残された中村さんはよく奮闘したが13位に留まった。

 スポーツ選手というのは、もちろん身体の勝負なのだからなのだろうが、壊れる寸前まで本当によく頑張ると思う。野口さんにしても、彼女は小さいから人一倍に鍛えたに違いない。日本人だからそうなのかと思うけれど、スポーツ選手はどこの国の人も、とにかく身体を鍛え上げる。鍛え上げなければ優勝はないからだろう。私のような怠け者は身体を壊してまで鍛える必要があるのかと思ってしまうけれど、確かにお互いの身体による勝負なのだから、鍛え上げた方が有利に決まっている。

 だから個人が頑張るのはよくわかるけれど、こういう時に、メダルの数をとらえて「国の威信にかかわる」などと言う人がいる。それが私には理解できない。メダルが1個だろうと10個だろうといいじゃないか。国策として、もっと優秀なスポーツ選手を生み出すようにしろ、とまで言う人は頭がおかしいのではないかとさえ思う。政治というのはそんなことに力を注ぐべきではない。明日の食事が出来ない人をどのように助けるか、それが政治の目的であるべきだ。

 スポーツに全てをかけている人には誠に申し訳ないけれど、スポーツはたかがスポーツで、スポーツがなくなると人は生きていけないというものではない。戦争や地球の温暖化といった問題は、人のつまりは人類の問題であるけれど、100メートル走で9秒7の壁を破ったところでそれが人類にどんな効果をもたらすのか、私には全く理解できない。一人の女性が119連勝したこと事態は確かにビックリするようなことだけれど、そしてそのことで努力は必ず報われると多くの人々に勇気を与えてくれるだろう。それを否定したり非難したりする気はないけれど、それでもスポーツはたかがスポーツではないかと思ってしまう。

 思ってしまうというよりも、勝敗にそんなにこだわらない方がよいと私は思う。勝ちがあれば負けがある。スポーツはその人がそこに全てを出仕切るから見ている人を感動させる。勝負の結果が大事ではなく、どれだけ頑張ったかが大事なのだから、勝敗にこだわることはないというのが私の考えだ。ましてや、「国の威信」などとスポーツを国単位で考えることに賛成できない。

 みんな頑張れ!それでいいと思う。
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