友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ラスト・フレンズ」

2008年06月18日 23時32分19秒 | Weblog
 孫娘が見るテレビドラマは、必然的に私も見ることになる。そんな中で興味深かったのは、「ラスト・フレンズ」と「バッテリー」だった。「ラスト・フレンズ」は明日が最終回のようだけれど、実際に私が見たのはその中の4~5回ぐらいなのだろうか。それでも、このドラマは現代を象徴しているようでおもしろいと思った。

 ミチルとソウスケがどこで知り合い愛し合うようになったのか、わからないけれど、ソウスケはミチルにぞっこんだ。ぞっこんだからこそ、その愛の表現は異常に見える。もしも、ミチルがソウスケを本当に愛しているなら、ソウスケの愛い仕方を理解し、普通の男女のあり方に戻していけばよいのにと思うけれど、そうしないことでドラマはハラハラドキドキさせているのだ。

 ルカという女の子はミチルが好きで、ミチルに対してはまるで男の子になったような振る舞いをしてしまう。これも多分、ルカを好きなタケルが、もっと積極的に女としてのルカを愛していけば、ルカは女になっていくだろうと私は思う。タケルは優しいから、ミチルの境遇に我慢できない。自分の正義をとおそうとすることが、かえってソウスケから憎悪を受けることになるし、ルカはタケルがミチルを好きなのだと勘違いするようになる。

 孫娘は「ソウスケは怖い」と言うが、いや孫娘の直感は正しいと思う。ソウスケのような愛い仕方しかできない男は以外に多いように思う。ソウスケはミチルを愛するが故に暴力で押さえ込もうとする。恋人あるいは夫からのDVである。ソウスケはミチルが自分の思うようになっていれば満足している馬鹿な男だ。愛することがどういうことかは彼は全くわかっていない。ソウスケはミチルと肉体的な交わりも持たない。彼が求めているのは、彼女を培養器の中に閉じ込めておきたいだけなのだ。

 こういう愛い仕方の男を私は馬鹿だと思う反面で同情もする。自分が愛すことと同じように自分を愛して欲しいと、相手に求める男も女も多い。私は、自分は愛するけれど、相手が自分を愛するかどうかは別のことではないかと思っている。尽くすことは愛だけれど求めることは愛ではないと思っている。相手が自分以外の人とお酒を飲んだとかデートをしたとか、それで非難し合うカップルもいる。ソウスケは相手を独占したいという典型的な男だ。ソウスケは相手のために料理も作るし気も遣う。しかし、彼には包容力がない。自分だけが絶対なのだ。

 ソウスケみたいな男でないと、愛された気がしない女もいる。男と女の愛い仕方には100組のカップルがあれば100通りの表現があるのだろう。究極は当の二人が納得できれば良いのだろうが、そういかないところに男女の愛の難しさがある。さて、明日が最終回ということだが、どういう結末になるのだろう。

 私は明日から東北へ旅行に行くので、このドラマを見ることはないのかも知れない。明日と明後日、ブログを掲載できないが、ご勘弁いただきたい。
コメント (1)
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