詳しいことはわからないけれど、そしてまた、本当のことかどうかもわからないけれど、昨日のブログの田中さんのご両親はわが子のことをどう思っていたのだろう。昨日のブログにコメントを寄せてくださったのを読んでそう思った。自分の子育ての時は考えてもみなかったような気がするが、孫娘のことだともう少し距離を置いて見られるように思う。
彼女は、高校1年になる先輩から「一緒に遊ばない!」と誘われ、断れなくて「いいですよ」と答えてしまった。その高校生の子がまだ中学生の時にも誘われたことがあって、母親から「ダメ」と言われて、なにやかやと理由をつけて断った経緯がある。その先輩が男友だちとキスをしている写真を孫娘から見せてもらったことがある。
男同士でもそうだけれど、女同士でもその手の子の話はどうも「性」にかかわる話が多いようだ。私自身の子どもの頃を振り返ってみても、エロ本を回し読みしていたグループはどこまでいってもそんな「性」にかかわる話が多かったように思う。ところが中学3年で一緒になり、今も付き合いが続いている仲間では一度もそんな下世話な話をしたことがない。むしろ、「性」に関することであっても哲学的な、人間の存在としての「性」の話であったと思う。
孫娘に「今日はどうだった?」と聞くと、「ウン、男の話だよ」と言う。内容までは言わなかったけれど、おおよその想像はつく。高校生の先輩が、いかにも知ったかぶりああでもないこうでもないと話したに違いない。孫娘が以前、先輩のキスしている写真を見せてくれた時、「キスがとてもうまいんだって」と話してくれた。キスがうまいかへたかなんて、よほど経験しなくてはわからないのではないかと経験不足の私は思っている。
うまいとかへたとか、本当にはわからないし、多分そんなことは問題ではないだろう。相手が好きならそれで、どんなことも甘い蜜のようなものだと私は思っている。それなのに、うまいと言うことでいかにも「私は経験があるのよ」とエライ気ぶることはよくあることだ。「経験のない男は処女を求める」と昔、映画のセリフで聞いたことがある。知らない者の前では、知っていると思わせることは一種の優越感なのだろう。
子どもをどんな風に育てていけばよいのか、今また、孫娘を育てるハメになって、考えさせられている。私はどうも「人は人、自分がどうしたしたいか、それが一番肝心なことじゃあないか」と言ってしまうが、「そういうあなたの考え方がいけないと、長女は思っているから自分の娘にはきつく当たっているのよ」とカミさんは言う。自分の思うようにやってみればいい。人生はやり直しはできないが、思い巡らすことはできる。
彼女は、高校1年になる先輩から「一緒に遊ばない!」と誘われ、断れなくて「いいですよ」と答えてしまった。その高校生の子がまだ中学生の時にも誘われたことがあって、母親から「ダメ」と言われて、なにやかやと理由をつけて断った経緯がある。その先輩が男友だちとキスをしている写真を孫娘から見せてもらったことがある。
男同士でもそうだけれど、女同士でもその手の子の話はどうも「性」にかかわる話が多いようだ。私自身の子どもの頃を振り返ってみても、エロ本を回し読みしていたグループはどこまでいってもそんな「性」にかかわる話が多かったように思う。ところが中学3年で一緒になり、今も付き合いが続いている仲間では一度もそんな下世話な話をしたことがない。むしろ、「性」に関することであっても哲学的な、人間の存在としての「性」の話であったと思う。
孫娘に「今日はどうだった?」と聞くと、「ウン、男の話だよ」と言う。内容までは言わなかったけれど、おおよその想像はつく。高校生の先輩が、いかにも知ったかぶりああでもないこうでもないと話したに違いない。孫娘が以前、先輩のキスしている写真を見せてくれた時、「キスがとてもうまいんだって」と話してくれた。キスがうまいかへたかなんて、よほど経験しなくてはわからないのではないかと経験不足の私は思っている。
うまいとかへたとか、本当にはわからないし、多分そんなことは問題ではないだろう。相手が好きならそれで、どんなことも甘い蜜のようなものだと私は思っている。それなのに、うまいと言うことでいかにも「私は経験があるのよ」とエライ気ぶることはよくあることだ。「経験のない男は処女を求める」と昔、映画のセリフで聞いたことがある。知らない者の前では、知っていると思わせることは一種の優越感なのだろう。
子どもをどんな風に育てていけばよいのか、今また、孫娘を育てるハメになって、考えさせられている。私はどうも「人は人、自分がどうしたしたいか、それが一番肝心なことじゃあないか」と言ってしまうが、「そういうあなたの考え方がいけないと、長女は思っているから自分の娘にはきつく当たっているのよ」とカミさんは言う。自分の思うようにやってみればいい。人生はやり直しはできないが、思い巡らすことはできる。