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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

現実も妄想の世界だ!

2008年06月04日 22時19分04秒 | Weblog
 カミさんは朝早くからゴルフに出かけた。美術館巡りでもしたいところだが、あいにく一緒に行こうという人が見つからない。それに今日のような曇り空の日は、農作業にはピッタリだと覚悟を決め、ひとりで鉢の土の入れ替えを行なった。ケータイが鳴って、いつもはメールで「暇?」と聞いてくる友だちが、「これからそっちへ行くけど、暇だったらお茶しない?」と言う。朝7時半から作業を始めた。ヒゲも剃っていないし、ここで中断したくなかったから、「ごめんね」と断った。

 それから、午後1時過ぎにお昼ご飯を駆け込むように食べ、途中でお茶は飲んだけれど、ほとんど休まずに午後4時まで続けた。さすがに腰が痛い。どうしてこんなに馬鹿馬鹿しい単純作業を黙々と続けることができるのだろう。ラジオを聴くとかイヤホーンで何かを聴きながらやるわけではない。ただひたすら、何も言わず何も考えず、30センチのシャベルで土を混ぜ合わす。混ぜながら、古い根や塊を取り除く、もちろんミミズは傷めないように別の器に移しておく。

 カンヌ映画祭で受賞した黒沢清監督がテレビで、「どんな人にも違った面がある」と話していた。確かに、真面目一本の人でもふざけたことを平気でやってのける人がいる。おとなしい人なのに、ハンドルを握った時は別人になってしまう人もいる。人の面は、実際に暮らしてみなければ見えない。恋人同士の時はとても仲がよくても、生活して初めて知らなかった面を見て、離婚してしまうカップルだってある。

 他人は私を優しくて思いやりのある人と評価してくれるが、本質的にはそうなのかなと自分でも思う。道に座り込んでいる人があれば、「どうしました?」と声をかけずにはいられない。困っている人がいるのに、放っておくことはできない。それなのに、移植手術には賛成できない。難病で苦しんでいるのに、「運命は受け入れるべきだ」と考えてしまう。友だちが「臓器移植で助かるなら、そうすべきじゃないの」と私の冷淡さを非難する。人を助けてあげたいと思う反面で、それが運命なら人は受け入れるべきだと冷酷なのだ。

 黙々と土いじりをしていると、頭は妄想の世界だ。ピンポンとベルが鳴る。初恋の人が訪ねて来る。えっ、どうして何をしに来たのだろう。高校生の時と同じセーラー服で、顔立ちも姿も全く変わらない。ドアを開けると別の男が立っていた。どういう男なのか。急いでドアを閉める。小学校の運動場から、子どもたちの元気な声が聞こえてくる。小学校5年のあの事件が私の出発点だった。

 器の中のミミズを見る。初めて、自分以外のミミズに出会い、熱烈な恋に陥るとばかり思っていたが、中には自分だけはここから抜け出そうとしている。馬鹿だね、外は地獄だよ。早く自分の相手を見つけて絡みつかなくちゃー。どれがオスでどれがメスかもわからないから気持ち悪いか。じゃー、最初にタッチした方がメスで、触られた方がオスにしよう。大きいのと小さいのはどうしよう。わからんな。もう、見ないからみんなで決めたらいい。

 中学2年の孫娘が急に「男は難しい生き物だね」と言う。
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