友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

資本主義社会から次へ

2008年06月25日 22時43分26秒 | Weblog
 ガソリンの値段が上がっているばかりか、農作物も値上りしている。原油価格の高騰に抗議して、ヨーロッパでもインドネシアでも韓国でも暴動に近い動きがあり、そして日本でもイカ釣り業の漁師たちが行動を起こしている。商品の価格は需要と供給のバランスによって決定されるという市場原理は幻となり、今日では需要と供給以外の要素が大きなウエートを占めてきている。

 人間はものを作って売ってきた。この時、生活に必要な費用に少し上乗せして価格を設定した。しかし、実際の価格は欲しい人が多ければ上がるし、品物を提供する人が多ければ下がる。これが資本主義社会の根本だった。私は知らなかったけれど、イスラム教では利子を設ける考えはなかったと聞く。そもそも商品でもないお金が動くとなぜ利子が生まれるのか、私はズーと不思議に思ってきた。

 イスラム教のように、お金に利子がつかなければ、お金が商品のように動くことはないのではないか。売り買いもしていないのに、商品は動いてもいないのに、お金だけが動くのはおかしいのではないだろうか。お金があったならば利益を生むのだから、お金に利子がつくのは当然ではないか、と言う人もいる。けれども、商品が動くとなぜ利益が生まれるのか、私には理解できない。

 今日の世界は、商品の売買で利益を生み出すのではなく、商品は動かないけれどお金が動いて利益あるいは損失が生まれる社会を構築している。資本主義社会とは異なる経済社会へ向かっている。商品を作っても売れない資本主義社会の最高の時点から、資本の余剰が生産と消費に関係のないマネーゲームといわれる資本主義ではない経済社会へ向かっているのだと私は思っている。

 それが人間社会にプラスに作用するのか、マイナスになるのか、私にはわからないが、人間がこの世界に存在し続けられる日まで、人間は社会を変革し続けるだろう。人間は自分たちに都合の良いように世界を変えてきたけれど、社会の形を変えることはできたけれど、人間自身を変えることはできなかった。確かに、封建社会と現代社会は違うから、人間は自分たちの社会の仕組みも変えてきたといえる。

 この先の人間社会に似合った社会の仕組みや価値観やその生き方は、いつも社会の変革の後を追っているように思う。しかし実際は逆で、私たち人間の中身が少しずつ変わってきたことが、社会を変えてきたのかもしれない。いずれにしても、人類がこの世に存在する限り、人間はこの連鎖から解き放たれることはないように思う。そして、変えてきた世界から最後通告を突きつけられる時がいつか来るだろう。
コメント
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