友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ろうけつ草木染展を観る

2008年06月08日 22時33分25秒 | Weblog
 中学時代の友だちから、私の初恋の人が「展覧会をやるわよ」とメールが来ました。「冗談に《花束持って来るかも・・》と言いましたら、絶対それだけはやめて欲しいと言っていました」。ここまで言われて行かないわけにはいきません。それに本心を言えば、少し彼女のことが気になっていました。初恋の人がどんな風に暮らしているか、気にならない方がおかしいでしょう。

 カミさんに「ボクの初恋の人が草木染展をやっているのだけれど、一緒に見に行かない」と勇気を出して言いました。後からブウブウ言われたくなかったからです。カミさんは「私が一緒でない方がいいでしょう。どうぞ、ごゆっくり」と言います。そう言っていながら、不機嫌な気持ちを全面出すのはやめて欲しいと思うくらい露骨でした。

 どうして寛大な気持ちになれないのか、私には理解できません。私が「駅まで送ってくれないか」と頼んでいるのに、「ご自分で行ったら」と誠につれない返事です。カミさんが飲み会に行く時、「駅まで送って」と言われて断ったことは一度もありません。「どこどこの居酒屋まで送って」と言われた時も、時間に間に合うようにキチンと動いています。カミさんは「次元が違う」と言うのでしょうが、初恋の人をそんな風に思ってくれて、「ありがとう」とも思いました。

 精神科医の斉藤環さんが、「愛情の形式には男女で違いがあります。女性の場合は関係が重視されるのに対して、男性の愛情は突き詰めれば所有の形を取るんです」(『性愛』格差論 中央公論新社)と述べていますが、私は必ずしもそうではないように思います。男女の位置づけが逆転していると思っているのです。女性も所有を、そして弱くなった男性は関係重視と言いますか、関係があればいいと思うようになってきていると思います。

 「ろうけつ草木染展」は、はなしょうぶ祭りに合わせて開かれていました。私の初恋の人は受付にいたのですぐにわかりました。むしろ彼女の方が私を見定めることができなかったような印象でした。私は歳を取り、額は禿げ上がり、頭髪もまばらです。彼女もまた、深い皺が何本もあり、彼女のお母さんにそっくりになっていました。カミさんよりもはるかに年老いて見えたのは、結婚してからの生活のせいでしょうか。

 相変わらずダンナとは口も利かないと言います。草木染をやっていると、余分なことを考えず無心になれるとも言います。高校生の時、「あなたはあなたが作り上げた私に恋しているだけなのよ」と断言したすごい人だったのに、かくも苦労を重ねてきたのかと思いましたが、私もまたカミさんにそんな思いをさせているのかなと思いました。彼女とダンナである私の同級生が、どんな経緯を経たのか知るところではありませんし、知りたいとも思いません。

 「そこそこに生きているわよ。あなたは絵を描いているの?」と彼女は言います。彼女のろうけつ草木染の作品を見せてもらって、「私だってやっているんだから、あなたも絵を描きなさい」と言う彼女が何を言いたかったか、わかるような気がしました。
コメント
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