ちい Road

料理中心、時々戯れ言

訃報を聞いたのではなく見たとき

2017年03月10日 | Weblog
友人の訃報をFacebookで見ました。
葬儀所も喪主も書いてあるしお通夜や葬儀の日も書いてある。

まだ若い。

信じられなくて友人に電話してみるけど二人が出ない

もう一人に電話すると「はぁ?」という返事。私もそうだった。「乗っ取りじゃないの?」
と言われたときそんな考えも出来るのかと前向きな気持ちになった。

本人の電話番号を知らないのでその人がかけてくれたけど電源が切れているらしい

Facebookのグループでの書き込みを電話してから知る

亡くなったとされている本人と十数人が連絡を取り合えるのに誰も詳細がわからない。

こんなとき文殊の知恵やと感心する。
会社に電話する者、葬儀所に電話する人、104やネットで自宅電話番号検索する者・・・
会社に電話するなんて考えもできなかった。

私は104してみたけど登録なし。

関西に住んでいたら自宅まで訪ねて行くけど茨城県だから行けない。

明日になるまでわからないんだろう。

アカウントの乗っ取りであればいいのに・・・

その方はもう、パソコン通信の時代からフォーラムで中心的人物だった。

時々飲み屋さんで知り合ったりした人とFacebookを教えあったりすることがある。

でもその人のことは知人であり友人ではないと思う。

亡くなったと今はされている人は友人だろうか・・・

友人と知人はどこから線を引くのか

blogに書くときは知人と書いたり友人と書いたりすることがある。、
友人と書いたら失礼だろうか?
と考えるからだ。

タモリが友人は少ない方がいいと発言して話題になった

亡くなったとされる人は私を友人と思っていただろうか

亡くなる数日前に風邪かな?咳が出ると書いた後に亡くなった兄のmixiがまだ残ってる。

mixiで繋がってもFacebookで繋がっても電話番号がわかっても本人と連絡が取れないし家族の人の電話番号なんてわからない。

突然に自分が死んだら・・・
そんな事をまた考える。

訃報なんてやっぱり聞きたくない。








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