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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

美しい手紙

2023-12-30 | わたし
夫の実家に来ている。
年末年始に子供たち一家が来て泊まるため、今日は布団を用意した。
ごそごそ。
ちなみに、次女一家は、お婿さんの実家に帰省している。
飛行機でしか行けないぐらい遠い地。
わたしは今まで一度も訪れたことがない地である。
それはそれとして。
長女一家と息子、我々夫婦、合計9人分の布団。
冬用羽根布団をわざわざ四角い羽布団ケースに収納してあるため、引っ張り出すのが面倒だ。
1枚は、合物羽布団で引っ張り出したが、もう1枚はケースの中、そのまま。
しかたないから、6人家族の長女一家には、そこらへんのありったけの布団を手当たり次第、総動員した。
薄い皮を幾重にも重ねたミルフィーユのような、パイ生地のような、モザイク模様のような、パッチワークのような、何枚も何枚も薄い布団を重ね合わせた。
最後に、大きなキングサイズのラム毛布があったので、それを横向けに掛けた。

息子用には、張り切って、なんと敷布団を2枚重ねにし、冬用羽布団と毛布。
薄い、硬い、痛い、と思われないように、見栄を張った。
(母親はこんなところで息子に見栄を張る)
そして、わたしの布団は、あれこれ試行錯誤。
ああでもない、こうでもない、と、合物羽布団と、電気毛布敷布。
わたしは電気毛布敷布さえあれば、ご機嫌だ。ぬくぬく。
しかしながら、2階や別棟から布団や毛布を運び込むのは、結構大変だ。
特に2階からは、大きな布団を抱えて足元もよく見えず、階段を踏み外しそうで怖い。
10年後はきっとふらついて出来ないだろう。

で。
布団を用意していたら、姑の寝室の布団が入っている押し入れの毛布の下から、あるモノを発見した。
いかにも大事なモノが入っている風の和紙で作られた、味のある紙袋。
いったい、何が入っている?
宝石?
現金?
預金通帳?
小ぶりながら、ずしっとした貴重品の重み、手触り。
そっと中を開けると厚めの封筒がごろごろ。
遺言書か?
大事な言い伝え?申し送り?
封筒の表はまあ、さらっと見たが、肝心なのは裏。
見たことがある住所、名前、、、。
何通もある。
これ、わたしやん。
わたしが姑や舅に出した手紙の束だった。
まあ美しい丁寧な文字。
当時、ペン習字を練習していたこともあり、気合いが入っていた。
(今と大違い)
内容がまたキラキラした、健気で泣ける、素晴らしいこころを表したもの。
どこの誰が、書いた?と思えるぐらい、別人だった。
新婚当時の日常や感謝を伝えるもの。
第一子を妊娠、出産したばかり。
人間は、こうも変わるものか。
はあぁ〜。ため息。

決して嘘八百を並べたてているのではない。
こころから思ったことを文字にしている、、、のではあるが、美しすぎる、、、。
ごろっと変わったからといって、極悪人や犯罪者になるわけではない。
環境や年齢によって、人はこんなに変わるものかと驚いた。
それと、わたし、、、自分で言うのもなんなんだが、手紙がうますぎる。
もしあれがラブレターなら、相手はイチコロである。
残念ながら、ラブレターは中学1年の初恋の相手に書いて、こっぴどくフラれて以来、1通も書いていない。
苦い思い出と共に封印された。
それはある意味、良かったのかも知れない。

それはそうと、先日、事務所で廃品処理をしていて、出てきた手紙があった。
20年前の、パソコンで打った手紙のコピー。
わたしが迷惑をかけた人に詫びる内容なのだが、これまた素晴らしい出来栄えだった。
手書きではないので、文字の特徴や雰囲気は醸し出せないが、内容はかなり良かった。
結構、真摯に相手に謝っていた。
(その相手とは今もお付き合いはしている。
クリスマスLINEをもらったばかり)
わたしの未熟な行いを許してくれたのだろう。
書いたことはすっかり忘れているものの、わたしは手紙が上手だと自分で感心した。
美辞麗句を並べたてるのではなく、拙い文章ながら真面目に、ちゃんと相手に向かっている。
これなら、初恋の人にフラれさえしなければ、紫式部か清少納言のように、情熱的な恋文が書けたかも知れないのに、、、残念。
(自画自賛とはこのこと)

話を姑が大事に取り置きしてくれた手紙に戻す、、、。
若き日のわたしは、真面目だったようだ。
そして、可愛いこころを持っていた。
今は別人でも、過去はそうだったという事実は事実。
舅、姑に可愛がられたのは偶然たまたま相性が良かったからだと思うが、それ以外にも、わたしはとても純真だったなあ、、、と。
今は、カケラも片鱗もないけれど。
どこに行ってしまったのだろう?
どこに消えてしまったのだろう?

男性は過去を引きずるが、女性は上書きすると言われる。
ではあるが、過去があって、今がある。
上書きは、全く別のものを上書きするのではなく、アップデートした、改良・改善されたものを上書きする。
あるいは、劣化したものを上書きする。
人生の経路は色々だ。





老けたなぁと感じる時

2023-12-30 | 老い
人は、老化する。
体力、頭脳、メンタル。
どれかが飛び抜けて衰えるのではなく、どれも同時に少しずつ低下する。
わたしも、そう。

そう感じたのは、、、先日、10年前からの知人に久しぶりに会って。
(わたしのブログをご存知なのだが、もしお読みになったとしたら、ごめんなさい。
というか、ここでストップしてください)

わたしより歳上のその方は、わたしより早く歳を取る。 
そんな当たり前のことを事実として感じた。
そして、どんな元気な人も、どんな頭の良い人も、歳を取る。
これは避けられない。
特に、元々、わたしなんかより雲泥の差で頭脳が優れている人は、ほんの少しでもわたし寄りの老化を感じると、不思議な気になる。

父より11年若い母が老年の父のことをよく言っていた。
「あんなに賢かったお父ちゃんが、最近、前ほど賢くない」
前ほど賢くなくなった父でも、十分、その時の母より賢かったが。
父も父方祖母も、アタマは最期までクリアだった。
わたしもそうありたいが、体が言うことを効かなくなると、アタマだけ冴えていても辛いだけ。
アタマと体は同じ足並みで衰えていくほうが幸せだ。

で。
知人は、わたしの父と母の違いぐらい、わたしとは頭脳に雲泥の差がある。
そうなのだが、やはり寄る年並みには勝てない。
わたしが中学生の時に、家族全員で(同時、麻雀を覚えたばかりの兄、主導のもと)麻雀を一斉に始めた。(ただし母、除く。父、兄、姉、わたし)
その時に、当時50歳を超えていた父の覚えが悪かったことを記憶している。
わたしたち子供はスイスイ覚えるのだが、父はモタモタ。
チョンボも父にはわたしたちは寛容。
わたしは、父を頭脳明晰だと尊敬していたが、あれれ?新しいことは、若い人のほうが覚え易いのだと感じた。
歳を取ると、頭がカチコチになりやすい。
たとえ、頭脳明晰の50歳でも、普通の中高生には負けるようだ。
仕方ない。
生物は生まれてきたからには、その日から成長もするし、衰えもする。
避けられない宿命である。

というわけで、尊敬していたダントツ学業優秀の知人が、父同様に、ピーク時よりダウンしていた。
わたしは、ピークが12歳の時(人生のスタート地点あたり)だから、それから半世紀以上も経ちダウンが著しいけれど。

そして、かつて一緒に運動していた仲間だった知人だが、運動機能的にも衰えを感じた。
その人は、家庭の事情で時間が取れないこともあり、スポーツを全くしなくなったようなので、印象的にガクンと若さがなくなっていた。
どちらかというと、趣味は足腰を動かさない、アタマや感性を使うものなのだからか。
やはり、ウォーキングでもよいので、軽い運動は日常に取り入れたほうがいいと思った。
わたしも渋らず機会があれば、参加したほうが自分のためになりそうだ。

老けて見えたのは、ちょうど、歳を急に取る年齢に差し掛かっていたのかも知れない。
わたしだって、何年も会わなかった人には、同様のことを思われることだろう。
皆んな同じ。
誰だって歳を取って行く。
自覚症状がある場合もあるが、人の姿を見て、この人、歳取ったなあと感じることもある。
何度も言うようだが、当たり前なのだけれど。

ジタバタあがいても仕方ない。
落ち込むなどもってのほか。
年齢と共にやってくる変化を受け入れると、こころが落ち着く。
歳を取る感覚に慣れてくる。
アンチエイジングの人から見ると、だから老けるんだ!と叱咤されそうだが。
なんで自然の流れ、真理に逆らわなければならないのか、わからない。