蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ちょっと先、将来のわたし

2023-12-20 | わたし
自分の遠くて遠くない将来。全くの想像図。
今の家は次女に明け渡し、夫の実家に引き篭もる。
数年に一回、自分の実家にステイする。
いや、今の家を離れられないかも知れない。
もう夫も孫たちもいない。(推測)

息子が定年後、帰って来ているかも知れない。
わたしは90歳を越えている。
ギリギリまでヘルパーさんに自宅に通ってもらい、限界が来たら老人ホームに入っている可能性は大。
限界の前に、あがかず、すんなり入るかも?
それは良いとして。

逆算する。
それまでにしておきたいことは?
色々あるが、全て後回し。
なぜか?
めんどくさい。
明日でもいい、来月でもいい、来年でもいい、、、と、どんどん先延ばし。
したいことよりも優先するものは何?

ぬくぬくの電気敷布に潜り込む快感だったり、定時に起きなくてもいい朝の開放感だったり、、、
早い話、何もしたくないということだ。

したいことがあるのではなく、すべきことはあっても、したくないのだ。
根っからのサボり気質。
ギリギリまで何もしたくない。
1日も長く、何もしなくてよい日が続くことを願う。

で、何もしないで、一日中、何をする?
ボーっとしていたら、あっという間に一日が終わる。
何ごともなかった幸せを噛み締める。
ちょっと退屈かな、ぐらいには感じても、何もしなかった後悔はない。
わたしは虚しさは無縁。
しなければならないことを後回しにして、何もしなかった日は、あと何日あるから大丈夫、と指を折って数えて安堵している。

何をしようかな、と考えるのが好き。
若い時は、あまりにも何もすることがない空白の日は若いエネルギーと暇を持て余し、苦痛だった。
空白を埋めるには、前もって予定を組み入れるべきだと気づいたけれど、今は、することのある日と、することがない日がバランス良く混ざっていて良い調子。
ではあるものの、さすがにぴったりバランス良くうまく行くわけではない。

健康でちゃんと食欲があって、ちょっとした退屈を埋める何か楽しみがあれば、それで良し。
さらに未来への明るい希望の火が、ほんのりちらちらしていたら申し分ない。
退屈一歩手前が、最高の贅沢。
ガムシャラに頑張るタイプの対極。
のたっと幸せを感じられる、ゆったりした時間を味わえたら、それで満足。

しかし、「退屈(虚しさ)」と、「満足」の、絶妙なバランスはかなり難しいさじ加減を要する。
将来は、FMラジオを聴きながら、写経を日課にしているかも知れない。
少しだけ細い線で俗世間に繋がり、あとは自分の世界でニコニコふわふわ浮いているような気がする。
それが今のわたしが想像する、ちょっと先のわたしの未来理想図。
あらま、今とあんまり変わらない、、、。