蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

泣かれた朝

2022-10-01 | 子育て
秋晴れ。

孫、小学生男子児童(2年生と4年生)、2人がやって来た。
日によっては、親も下の女児きょうだいたちも来ず、男児2人だけのこともある。
親の仕事の関係でスケジュールが刻まれている。

なかなか来ないと、ひょっとして今日は来ないのかな?と思ったりする。
GPS機能搭載、手のひらサイズの携帯用の子供見守りツールを下の男児(弟)Kは親に持たされている。
学校からの行き帰りなど、移動中もどこにいるのかわかるようになっている。
帰宅が遅いとまだ学校にいるのかチェックできる。
昨日は、GPSでは家に到着したものの、家から移動しない。
1時間近く経って、兄ちゃんYと首を揃えて我が家に現れた。

ああ、来てくれたのね。
大歓迎!!となる。
来たら来たでうるさいのだけれど。

・・・・・
シルバーウィークの旅行で、わたしは男児たちと同室に部屋を割り振られた。
男児ジジババチームである。
女性はわたしのみ。
その一方で、女児保育所組はパパママチームへ。
パパママチームは、男性はパパのみ。
男女比率が偏っているが、お互い、性別枠を通り越した年齢。
問題なし。
それはよいのだが、男児たちは寝相が悪く、安眠妨害甚だしい。
まあそれはそれとして。
2日目はさらに、ジジババ男児チームは分割され、ジジ&下男児K、ババ&上男児Yが同室になった。
この4人は大人1人に子供1人、お互い好きなように組み合わせてオッケーということだったが、早いもの勝ち、リクエスト制、空気を読む、強硬一方的、、、なんでも良かった。
さあ、誰が誰を取る?睨み合いが続いた。
相思相愛もあり得るが、どっちも嫌、なんてのも大いにあり得る。
片思いや、人気集中や、余りモノ売れ残りになることも想定内。
さあどうする?誰にする?
遠慮、思惑、気遣い、忖度が渦巻く静かな時間。
穏やかな睨み合いの後、自然な流れで(主にわたしの意向)、組み合わせは決まった。
別にトラブルも混乱も、後のクレームも(さほど)なかった。
ジジは下の男児K、ババは上の男児Yになった。
めでたし、めでたし。
わたし以外に要望(リクエスト)を持つ人物はいなかったので、すんなり行った。

なぜわたしが上男児Yを選んだか。
他でもない、、、下男児Kは、強烈に寝相が悪いと聞いていたからだ。
ダブルベッドなので、寝相は重要な要因だ。
が、蓋をあけてみると、まあなんと上男児Y(兄ちゃん)も寝相の悪いこと。
わたしは蹴られまくり1時間置きに目が覚めた。
子供って、こんなに寝相が悪いものなんだ、、、一緒に寝ないから、すっかり忘れていた。
・・・・・

やきもきしていたが、元気よく現れた2人。
GPSによると、下男児Kは自宅に帰って1時間後に、うちに来た。
後から下校して帰ってくる兄ちゃんYを待っていたらしい。

2人の元気な顔を見ると、ホッとした。
孫たちは自分の家に居るほうが快適なのではないか、ばあちゃんちに来たくないのでは?
と、必要以上に安堵したには理由がある。

旅行のホテルでの朝、5時から起きて「一緒に遊ぼう」と、親の別部屋に行ってトランプを持ってきて準備していた下男児Kの要求をむげに断ったことをわたしは気にしていた。
あの時は同室の3人(ジジババ、上男児Y)全員が皆んな用事(ジジババ)やTVを見たかった(上男児Y)ため、下男児Kのリクエストを断った。
しつこく、遊ぼうよー、と下男児Kはアピールしていたが、皆んなにお断りスルーされ、しくしく泣き出した。
泣いてもなだめるわけじゃなし、トランプに付き合うわけじゃなし、3人ともそれまでの自分の行動を黙々と続けた。
「ごめん、これ今やらないといけないから遊べないのよ」とはわたしは言ったが、下男児Kは、しくしく泣くばかり。
遊べないものは遊べない。
「ひとりでトランプしろ」と上男児Yに言われ、三角座りして下男児Kは膝をかかえていた。
もう小学2年にもなって、いくらなんでもそんな自分の思いが達成できないからって、めそめそしているのには、可哀想でもあり、また、でもなあ、、、と、わたしは自分のことを優先するほうが大事と強行した。
とは言っても、自分の用事なんて仕事でも緊急事態でもなんでもない自由度の高いお遊びなのだが。

後でママに、この、めそめそ事件を報告すると意外な一言が返ってきた。
「Kは、大人は子供の要望を聞いてくれなくてもいいんだ、無視してもいいんだ、と学んだんじゃない?」
無視した我々が悪いかのような発言にわたしはいささか驚いた。
朝5時から旅先のホテルで子供のトランプに付き合わなければ非難されるのか?
何もすることがないのに、とか、気が進まないならいざ知らず、用事があるという歴然とした理由があるにもかかわらず。(が、たいした用事ではないところが堂々と胸を張れないところ)
単なるトランプではあるが、自責の念を持たなければならないのか、と、わたしの問題意識として脳内に引っかかっていた。

と、長々書いた。
そんなこんなで、そろそろYK兄弟が来る時間になっても来ないと、先日の旅行が頭に浮かんだ。
そういう事情があり、トランプ事件の翌日に本人Kに直接「ごめんねー」と謝ったものの、Kは深くこころを痛めて、ばあちゃんなんか嫌いになっていたらどうしよう、と懸念した。

しかし、孫の言うことばっかり聞かないばあちゃんである。
自分のことも優先することもある。
折り合いをつける。
気に入られるために、なんでもハイハイと要望を飲んでいたらロクなことがない。
フロアは傷だらけ、椅子やソファはクタクタ、べたべたぼろぼろ、仕方ないといってももう10年が経ち、まだ下は2歳(さらに次女のところには、1歳児もいる)、ばあちゃんの生活を脅かす。
なので、そこは、お互い調整が大事なのだ。

あんなに尽くした孫なのに、、、と将来、寄り付かなくなって嘆くよりは、
あまり無理に頑張って尽くさない。
自分が出来る範囲でする。
やがて寄り付かなくなる日は必ず来るから、後悔しないように今の孫たちとの日常を楽しむ。
今、将来、さじ加減が必要だ。
自分や周りに、あまり期待しないこと。
評価を求めてはいけない。
楽しみながら、出来る範囲で奉仕すること。

自分が、自分の祖母を見て、
子供たちから、子供たちの祖母を見て、
孫たちからわたしを見て、
孫育ても順送りかなと。