蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

暇つぶし、つぶした後は?

2022-10-09 | 日々のこと
今、ミニミニミニ鬱、こころの空洞。
何もする気力のない、何も興味が湧かない空っぽ状態に陥っている。
別に何があったわけでもない。
大きな節目や、何かを卒業した、乗り越えたわけでもない。
が、、、ちょっと時間がズレて遅く症状がやってきたのかも知れない。

何が原因なのだろう、、、。
最近、空洞時間を過ごしながら考えてみる。
考える必要はないのだが、昨夜はあまりにも何もする気にならなくて、19時を過ぎた頃に早々と寝室に入り就寝した。
その直前にはNHK TV「ニッポンに蒸気機関車が走った日」という歴史ドキュメント番組をしっかり見た。
何か魂を奪われるように、気が抜けたのか。
日本の近代化、第一歩頃のお話だった。
西郷隆盛、岩倉具視などが登場。
琉球の国が日本の統治下になった日でもあるらしい。
蒸気機関車が初めて走る日に招かれた琉球の王の次席?(王の次の位にいる)人がいた。
その子孫である女性が先祖の写真を見せながら説明し語り継いでいた。
琉球のこと、知らないなあとわたしは思った。

パスポートが必要だった時代に、父が旅行していたのを覚えている。
わたしは、沖縄海洋博が開催された1975年に、父の知人宅に姉と一緒に宿泊させてもらったことがある。
沖縄返還が1972年だと、たった3年後にもかかわらず、学生だったせいか、パスポート感覚ゼロの普通の感じだった。

話は脱線。
で、他に見たい番組もなく、(隣室のTV音が聞こえる中)したいこともなく、したい気にもならず、寝た。
こうやって活気が失われて行くのだろうか。

しかし、眠いわけでもないのに、疲れているわけでもないのに、寝る(眠る)のは、疲れる。(逆説パラドックスです)
あー、かなり頑張って寝たからそうとう時間が経っているだろうとトイレ時に時計を見ると、なんとまだ0:30。
いつもなら布団に入ろうとする時間。
健康体で寝るのは体力が要ると痛感した。
朝までその調子。
何回、何作、夢を見たことか。
最後の夢は、とても楽しい、これからの生活に期待が持てる内容だった。
終わり良ければ全て良し、か。


それにしても、、、
あまりにもすることがなく、昨日、夕方頃は、断捨離をした。
耳垢がいっぱいボロボロ取れるように、不要な靴がいっぱい。
おもしろいぐらいに、ポイポイと廃棄ダンボール箱に投げ込んだ。
お取り置きしたい、新古品は新古品用ダンボールに詰め込み、2階の(広い)一角を占領する、ほぼ不用品コーナーへ押しやり積み重ねた。
新古品ではあるが、たんなるコレクションなので集めて保管することに意義があるため、使うアテもなく(こういう行動やスタンスは、断捨離実践者やミニマリストには糾弾され、時流の真逆となる)、いざとなれば、2階のモノは全て廃棄。
廃棄までのお別れ期間である。
惜別タイムを設ける。
老人ホームに入る時は身体ひとつ。
それまでの、こころの贅沢。

が、待てよ、と思った。
この調子で断捨離していくと、全く何もすることがなくなってしまう。
断捨離という未実行・未処理のタスクを抱えているからこそ、(何もすることがない時のために虚無感に襲われないよう)用事を残している、自分はすべきことがあると自覚できる。

では、身一つの人は?
毎日毎日、思い残すことがなく、澄んで研ぎ澄まされた一日一日なのでは。
肩に荷物(文字通り)が乗ってなく、気楽、軽いのでは。
荷物はなくても、「仲違いしていた肉親に一目会いたい」だとか、こころの荷物は背負っているかも知れない。

こころの荷物はシリアスだが、ブツの荷物は物理的に解決できる。
しかし、全く何もすることがなくなり、する気もなくなると、断捨離すらしないのだろうか。
とりあえず、靴を断捨離してスッキリしたかというと、澄み渡るには至らず、
ではあるものの、こころの空洞を埋めるには、時間つぶしには、断捨離は役立つかも、と思った。
だが、単純にただ捨てるだけのモノの断捨離だけではなく、いろいろ背負っているものの断捨離、引き継ぎは、憂鬱だったりする。