蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

断捨離と人間関係

2022-10-16 | わたし
書きたいことがない。
毎日、楽しい。
だから、書く意欲が湧かない。
わたしのブログは、マイナスチャージから得るエネルギーだということが、よくわかった。

全然、思いつかない。
思いついても書く気がしない。
なんじゃいな、これ。

秋になって気候が良く、身体に感じる空気も爽快。
岸田総理はじめとする、政府には思うことはあるが、書くには至らない。
なんじゃいな、これ。
わたしは世捨て人か?

断捨離を少しして、その分、整理整頓すると、綺麗になり気持ちよくなった。
1%を抜き取り試して体験してみて、残りの99%を想像するかのような、試供品で様子がわかるような、先が見通せるかんじか。
量や時間の配分、ペースも決めると予想図がハッキリする。
が、先行きが明るいと頑張らず安心してしまって、断捨離の手を緩める可能性がある。

それより、ブログに書くような内容を最近、日々、口から音声でリアルに面と向かって発声しているから、溜まらない。
しかも独り言の一方通行ではなく、しっかりわたしの言っていることを理解してくれ、賛同までしてくれる。(口先だけの同調かも知れないが)
褒めてくれることもあり、けなされることもある。
つまり、リアル友が出来たということだ。
わたしの言うことなんか、誰も興味ないだろうと思い、ブログに吐いていた。
それが、なんと!
受け止め、反応してくれ、さらに感想を言ってくれ、言葉や行動を介して、意見、考え、感想のラリーの応酬になっている。
でも場外に球が出る場合もある。
空振りの時もある。
が、日本語が通じ、同じ業界に身を置く身で、裏話までツーカー。
同じ経験を共有し、同じ温度の、同じ位置レベルに属した、ほぼほぼわたしと等身大の人物である。
かと言って、ものすごく熱く急接近するかというと、ある程度の距離は保つ。
そういう友達は、今まで出来なかった。
というか、わたしが数々の失敗を重ね、学習し、失敗から学び、ちょうど良い位置関係にいられるように調整した結果だろうと思う。
正に、失敗は成功の元。
学習能力を身につけたということだ。
長く生きていれば、それだけ経験値が上がる。

モノの断捨離と同じく、人間関係も整理整頓した。
すると、なんとスッキリはするものの、隙間風ビューでもなく、ギスギスうら寂しくもなく、ちょうど良い温度になった。
見直し、再編成してみるものである。
切ってしまうのではなく、仕切り直し。
長押しリセット。
また組み立てる。

更に時間が経過すると、埃やら垢やら錆が付いて滑りが良くなくなることもあるだろう。
その度に、見直し、キュキュっと磨くと良いようだ。


ちなみに、、、
どんな良好な人間関係を築いていても、言わないほうがよい(こころの中だけに留めておく)こともある。
何でもかんでも、思いついたことをどんどん考えなしに精査せず口に出すのは混乱を招いたり、相手を不快にさせたり傷つけたりする。
かつてのわたしの失敗例では、考えなしの人の言葉に痛手を受けたが、相手は自分のどんな言葉が相手を不快にさせているのか全く分からなかった。想像できなかった。
相手は自分の言葉が相手を傷つけていることだけは分かったが、どの言葉なのか分からない。
なぜ傷つくのかが分からない。
なのでトラブルを避けるため、全く何も言わなくなった。
1か0か、で、0になった。

どの内容が良くて、どれが悪い、と、いちいち説明しなければいけないって?
わたしは絶望的な気持ちになった。
何度か繰り返すと学習するはず、とわたしは思っている。大の大人なのだから。
幼児でもだいたいわかることを、大の大人に言葉で説明しなければ分かってもらえない、そんな関係性は???
言語、国、歴史、男女差、年齢、文化、宗教、信条、社会背景の違い???
経験が全く異なる異次元の世界の人ならまだしも、
そんなに違わない、同じ地域のごく身近な人なのに、そこまで(いちいち口に出して説明しないと)分からないことに驚く。
年齢も教育もエリアも、ほぼ同じなのに。
個体差なのか、相手を理解しようという気持ちがないからなのか。
分からなさすぎて、分かり合えるような努力を放棄すると、自然に馴染むかというと、自然に破綻し消滅する。消えてなくなる。
言葉を介さず、態度や行動で示すようになる。
自然になりゆきで消滅する場合と、意図的に消滅する場合と、意図しないのに外的要因で消滅する場合がある。
そして、時の経過で変化する。
人間関係は糸が絡み合って、非常に複雑難解なのである。