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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

壊れた人に、こころを添わせられない

2019-07-22 | 日々のこと
お見舞い、帰りの電車、、、寝過ごした、、、。
おマヌケも、ほどほどに。

腰が痛くなるほど寝過ごした。
いったん、終点まで行って、また一からやり直し。
何やってんだか。
最も脳が赤信号なのは、わたしなのでは?

入院先で、姑のリハビリに着いて行った。
姑、「こんなに歳がいっているのに、キツすぎます」と担当者に、(姑にとっては)過酷なリハビリを緩めてもらおうと、お涙頂戴アピールしていた。
なんと、彼女は歳をサバ読んで、3歳老けた年齢を口にしていた。
「女性は1歳でも若く見られたい」なんてのは、余裕がある人の話のようだ。
リハビリ担当の人に、「なにも年齢が高すぎるのではなく、1番あなたの年齢の人が多いんですよ」と諭されていたが、聞く耳持たず。
姑は、少し手を差し伸べてサポートしてもらうと自力で歩ける。
なのに、病室では、全く動けないようで、一切を任せて、身体を横にもナナメにも微動だにしない。

わたしは、数年前、盗作疑惑で問題になった、盲目で障がいがあることを装った作曲家を連想した。
姑の場合は、わざとではないと思うが、強い思い込みが、そうさせると推測した。
自分は重病人だと思い込んでいる。
耳も聞こえないらしいが、小さな声でも聞きたいことは聞こえている。
聞きたくないことは聞こえないようだ。
脳が仕分け、ジャッジする。
耳がダメなら目で、と、わたしがカンタンな単語を大きな文字で書いて見せても、わからない。
読む気がないだけで、理解しようという姿勢を拒んでいる。
脳の問題。司令塔の問題。
本人にその気がないから、仕方ない。
いくら、ぎゃーぎゃー、がーがー言っても無駄。
姑の気持ちになって、全てを受け入れ認め、理解し、気持ちに寄り添い、不安を取り除くと良いそうだ。
ニコニコ、大仏さん、観音さんのように、慈愛に満ちた笑顔で包み込むには、まだわたしの修行が足りない。
もう少し、この現実を受け止めるには時間が必要である。
今、即座に全てを肯定する、にこやか阿弥陀如来になれない。


実母の場合は、すんなり行った。
強烈なプライドや思い込みがないからだろう。
訳のわからない変なことを言っても、仕方ないなあ、とわたしに余裕があった。
病気だから仕方ない、と。
姑の場合は、なかなかスムーズに認めることが出来ない。
なぜだろう?

姑の精神的な問題が、トラブルの元を作っている。
思い込みが激しすぎる。
一種の脳の病気なんだろうと想像する。
母の病気の出方と、少し違う。
人それぞれなのだろう。

なぜ、実母に対しては、壊れていることをすんなり認めることが出来て、姑には出来ないのか?
実母の壊れ方は、猫が仰向けに寝てお腹を出しているような無抵抗感がある。
姑は、違う。
抵抗しても無駄なのに、髪を振り乱してナイフや包丁などの凶器を隠し持っているような、そんなかんじ。
しかも、凶器の先が、リュックからはみ出て人を傷つける恐れがある、そういうイメージ。

壊れ方によって、すんなり認めることが出来ないものは出来ない。
諸刃の凶器で精神的にわたしまで壊れてきそうだ。
姑の実の娘さん(義姉)にお任せしよう。

現状に慣れるまでの辛抱だ。
慣れたらきっと、どうも思わなくなるに違いない。(と期待しよう)
あと少し。
体験を重ね、経験を積むと、わたしも理性的になれると思う。

デキが悪い嫁は、愚痴っても共感得られず

2019-07-22 | 日々のこと
さて、今日は姑のお見舞い日。
義姉さんから、くれぐれも無理しないでね、と労いのお言葉を(メールで)頂戴した。
息子から所用でメールが届いたが、返信内容は下娘に聞かなければならないことだったので、メールでccを付けてやりとりしていた。
それをキッカケに、上娘がLINEの新グループを作成してくれた。

わたし、息子、上娘、下娘のグループLINE、新誕生!
なんだか、すごくへんなかんじ。
なぜなら、息子は糸の切れた凧のように、海を隔てて飛んで行ったきり、ほぼ音信不通。
生きてるんだか死んでるんだか、安否確認にはググって調べている。
久々ぶりにググってみると、動向がわかり、どうにか活動しているようで、なにより。

まあそれだけ疎遠の息子であるが、、、
週に数回、顔を合わせる上娘、昨日、帰省してきた下娘との3人グループLINEは、盛んで毎日、おんな、かしましピーチクパーチク。
これに、疎遠息子を入れた4人LINE。
最初は、パーっと姑の病状報告やりとりで盛り上がったが、今度いつ帰ってくる?と上娘が息子に聞いたら、プツンと終わり、静かになった。
まあ、そんなもの。
メールよりは、マシになると喜ばしく思っている。

で、100%姑寄りの息子のありがたいアドバイスを受け、今後も対応していこうと思う。
2歳ぐらいの頃、わたしたちの遠方の(夫の赴任先)住まいを訪ねてきてくれた姑が帰ってしまった日に、一日中、「おばあちゃん、おばあちゃ〜ん」と泣いていた息子。
三つ子の魂百までも、か。
うちの子供たちは、おばあちゃん(姑)が大好きだから、絶対に悪くは言わない。
わたしのみ、悪者。
良い行いをしていると、良く思われる、という典型の姑。好循環。
なんの文句がありましょうか。
ない。

誰に愚痴っても、わたしが至らないとの辛口アドバイス。
スコ〜ンと痛快なコメントを発してくれるのは、姉と姉の仲間たちぐらいだ。
でも、それでとても救われている。

悪魔のささやきコメントをバイブルのように、そっと忍ばせ、こころに繰り返しリピートしている。

皆さん、口ではきれいごとを言っても、いざ自分が世話をする段になれば、きれいごとでは済まされない。
それをよく知っているのが、姑介護経験者である、嫁たち。
理想と現実は違うのだ。

息子だって遠くから理想的なことを言うが、実際に実践するのは、わたし。
あんた(=息子)、代わりにする?
と言っても、できないことがわかりきっているので、結局、嫁の肩にかかる。

わたしとて、お世話になった姑。
できるだけのことは、するつもり。
ただ、自分の心身を壊してまではしない。
どんなに非難されても。
非難する人がいたら、わたしの代わりにやってください。お願いします。
「自分はこれだけ尽くした、なのにそれに比べてあなたは、、、」
と言う人がいたら、あなた、そんなに頑張り屋なら、ここに来て代わりにして頑張ってくださいな。
わたしは、とてもその人に感謝する。
(どんな人か知らないけれど)
ただし、やり方が気に入らないと、感謝しない。
だとすると、その人はくたびれ儲け。
誰も喜ばず、疲労するだけ。

と、行きの電車であれこれブログで愚痴っている。
なかなか電車が目的地に着かないから、なかなか終わらない。