お見舞い、帰りの電車、、、寝過ごした、、、。
おマヌケも、ほどほどに。
腰が痛くなるほど寝過ごした。
いったん、終点まで行って、また一からやり直し。
何やってんだか。
最も脳が赤信号なのは、わたしなのでは?
入院先で、姑のリハビリに着いて行った。
姑、「こんなに歳がいっているのに、キツすぎます」と担当者に、(姑にとっては)過酷なリハビリを緩めてもらおうと、お涙頂戴アピールしていた。
なんと、彼女は歳をサバ読んで、3歳老けた年齢を口にしていた。
「女性は1歳でも若く見られたい」なんてのは、余裕がある人の話のようだ。
リハビリ担当の人に、「なにも年齢が高すぎるのではなく、1番あなたの年齢の人が多いんですよ」と諭されていたが、聞く耳持たず。
姑は、少し手を差し伸べてサポートしてもらうと自力で歩ける。
なのに、病室では、全く動けないようで、一切を任せて、身体を横にもナナメにも微動だにしない。
わたしは、数年前、盗作疑惑で問題になった、盲目で障がいがあることを装った作曲家を連想した。
姑の場合は、わざとではないと思うが、強い思い込みが、そうさせると推測した。
自分は重病人だと思い込んでいる。
耳も聞こえないらしいが、小さな声でも聞きたいことは聞こえている。
聞きたくないことは聞こえないようだ。
脳が仕分け、ジャッジする。
耳がダメなら目で、と、わたしがカンタンな単語を大きな文字で書いて見せても、わからない。
読む気がないだけで、理解しようという姿勢を拒んでいる。
脳の問題。司令塔の問題。
本人にその気がないから、仕方ない。
いくら、ぎゃーぎゃー、がーがー言っても無駄。
姑の気持ちになって、全てを受け入れ認め、理解し、気持ちに寄り添い、不安を取り除くと良いそうだ。
ニコニコ、大仏さん、観音さんのように、慈愛に満ちた笑顔で包み込むには、まだわたしの修行が足りない。
もう少し、この現実を受け止めるには時間が必要である。
今、即座に全てを肯定する、にこやか阿弥陀如来になれない。
実母の場合は、すんなり行った。
強烈なプライドや思い込みがないからだろう。
訳のわからない変なことを言っても、仕方ないなあ、とわたしに余裕があった。
病気だから仕方ない、と。
姑の場合は、なかなかスムーズに認めることが出来ない。
なぜだろう?
姑の精神的な問題が、トラブルの元を作っている。
思い込みが激しすぎる。
一種の脳の病気なんだろうと想像する。
母の病気の出方と、少し違う。
人それぞれなのだろう。
なぜ、実母に対しては、壊れていることをすんなり認めることが出来て、姑には出来ないのか?
実母の壊れ方は、猫が仰向けに寝てお腹を出しているような無抵抗感がある。
姑は、違う。
抵抗しても無駄なのに、髪を振り乱してナイフや包丁などの凶器を隠し持っているような、そんなかんじ。
しかも、凶器の先が、リュックからはみ出て人を傷つける恐れがある、そういうイメージ。
壊れ方によって、すんなり認めることが出来ないものは出来ない。
諸刃の凶器で精神的にわたしまで壊れてきそうだ。
姑の実の娘さん(義姉)にお任せしよう。
現状に慣れるまでの辛抱だ。
慣れたらきっと、どうも思わなくなるに違いない。(と期待しよう)
あと少し。
体験を重ね、経験を積むと、わたしも理性的になれると思う。
おマヌケも、ほどほどに。
腰が痛くなるほど寝過ごした。
いったん、終点まで行って、また一からやり直し。
何やってんだか。
最も脳が赤信号なのは、わたしなのでは?
入院先で、姑のリハビリに着いて行った。
姑、「こんなに歳がいっているのに、キツすぎます」と担当者に、(姑にとっては)過酷なリハビリを緩めてもらおうと、お涙頂戴アピールしていた。
なんと、彼女は歳をサバ読んで、3歳老けた年齢を口にしていた。
「女性は1歳でも若く見られたい」なんてのは、余裕がある人の話のようだ。
リハビリ担当の人に、「なにも年齢が高すぎるのではなく、1番あなたの年齢の人が多いんですよ」と諭されていたが、聞く耳持たず。
姑は、少し手を差し伸べてサポートしてもらうと自力で歩ける。
なのに、病室では、全く動けないようで、一切を任せて、身体を横にもナナメにも微動だにしない。
わたしは、数年前、盗作疑惑で問題になった、盲目で障がいがあることを装った作曲家を連想した。
姑の場合は、わざとではないと思うが、強い思い込みが、そうさせると推測した。
自分は重病人だと思い込んでいる。
耳も聞こえないらしいが、小さな声でも聞きたいことは聞こえている。
聞きたくないことは聞こえないようだ。
脳が仕分け、ジャッジする。
耳がダメなら目で、と、わたしがカンタンな単語を大きな文字で書いて見せても、わからない。
読む気がないだけで、理解しようという姿勢を拒んでいる。
脳の問題。司令塔の問題。
本人にその気がないから、仕方ない。
いくら、ぎゃーぎゃー、がーがー言っても無駄。
姑の気持ちになって、全てを受け入れ認め、理解し、気持ちに寄り添い、不安を取り除くと良いそうだ。
ニコニコ、大仏さん、観音さんのように、慈愛に満ちた笑顔で包み込むには、まだわたしの修行が足りない。
もう少し、この現実を受け止めるには時間が必要である。
今、即座に全てを肯定する、にこやか阿弥陀如来になれない。
実母の場合は、すんなり行った。
強烈なプライドや思い込みがないからだろう。
訳のわからない変なことを言っても、仕方ないなあ、とわたしに余裕があった。
病気だから仕方ない、と。
姑の場合は、なかなかスムーズに認めることが出来ない。
なぜだろう?
姑の精神的な問題が、トラブルの元を作っている。
思い込みが激しすぎる。
一種の脳の病気なんだろうと想像する。
母の病気の出方と、少し違う。
人それぞれなのだろう。
なぜ、実母に対しては、壊れていることをすんなり認めることが出来て、姑には出来ないのか?
実母の壊れ方は、猫が仰向けに寝てお腹を出しているような無抵抗感がある。
姑は、違う。
抵抗しても無駄なのに、髪を振り乱してナイフや包丁などの凶器を隠し持っているような、そんなかんじ。
しかも、凶器の先が、リュックからはみ出て人を傷つける恐れがある、そういうイメージ。
壊れ方によって、すんなり認めることが出来ないものは出来ない。
諸刃の凶器で精神的にわたしまで壊れてきそうだ。
姑の実の娘さん(義姉)にお任せしよう。
現状に慣れるまでの辛抱だ。
慣れたらきっと、どうも思わなくなるに違いない。(と期待しよう)
あと少し。
体験を重ね、経験を積むと、わたしも理性的になれると思う。