ご近所の、同じ自治会の知人の方が、なんの前触れもなく、突然、お引越しをされた。
彼女は、元、子ども会も同じ。
子ども会も、自治会も、役員として顔をあわせた時期、年度も、何度かある。
季節の到来モノなど、お宅に持って行ったり、いただいたり、していた。
自治会主催の近隣・緑道掃除の日には、ほんの最近も、顔を合わせたりもした。
まったく知らない間に、お引越しされたといういうことは、
彼女にとって、わたしは、それほどの人物だったということなのだろう。
あるいは、それが、アーバン風、彼女風スタイル?
いや、おそらく、前者だと思う。
寂しいというよりは、からっとしたクールな風を感じる。
そして、自分は、彼女との付き合いなど、ほとんどなかったことを思い知る。
自宅は、さっそく、売りに出ているらしい。
しんみりするヒマもなく、そのことを教えてくれた別のご近所さんに、即、お値段を聞いてしまう、下世話なわたし。
へえ・・・あのお家は、そいうお値段・・・
株価や為替、不動産も少し動き出し、アベノミックス効果が現れているとはいえ、
売り家の値段は、決して、素晴らしいものではなく、
土地神話は崩れ、バブルは、とうの昔に過ぎたと、しみじみ痛々しく実感として感じる。
それにしても、シンプルだ。
住まいを変わる、早業。
土地や地域に対する、愛着とか、そういうものはなさそうで、
いとも冷静、沈着な判断で、この地を離れるようだ。
子供たちも就職した赴任地に離れて住み、夫婦二人だけになり、
子供を育てた場所、家の役割を終了した様子。
夫婦二人だけの生活にマッチした、駅まで傘の要らない駅近の、新築マンションに移ったとのこと。
新築だから、だれが、古参で、だれが新米、とか、そういう序列もなく、新しい門出、出発。
いやはや、潔い判断と、行動力。
定年を過ぎると、旦那さんは、奥さんの意見に従う傾向にあるそうだ。
奥さんが、この地を離れる、と言えば、旦那さんは、おとなしく付いてくるそうな。
二人とも同じ意見なら、なんの問題もないが、
奥さんは、駅近マンション、旦那さんは、郊外の一戸建て、と、
意見が分かれた時は、夫婦が別れる時、だそうで、別れたくないご主人が、奥さんの意見に従うとか。
女性は、強いなあ・・・。
その逆は、・・・?
泣く泣く旦那さんに付いていく奥さん・・・。
悲劇だなあ・・・。
じゃあ、泣く泣く奥さんに付いていく旦那さん・・・は?
これは、悲劇? 喜劇? 悲劇? 喜劇? 歌舞伎? 現代劇? ミュージカル? オペラ?
二人の間にあるものは、愛情か、生活の目安、算段か、真の豊かな老後か?
「愛があるから、我々夫婦は、そんな悲劇にはならない」
「我々は、死ぬまで、どんな環境になろうが、どこに行こうが、一緒」
「一緒に暮らさないなんて、夫婦ではない」
「健康な時と、健康を害した時では、状況が違う」
「老親の介護で、事情が変わる」
「助け合い、互助会」
「・・・」
いろんな素晴らしいご夫婦がおられることだろう。
いろんなところに、いろんなご夫婦。
それぞれのご夫婦には、それぞれの幸せを追求して、新しい愛の形、あるいは、旧来の愛の形を
具現化、実践していただきたいものだ。
そして、
土地や地域に対する思い入れというものは、環境、歴史、背景、地域、風土、考えによって違う・・・ものだ。