今のわたしの恋愛観は、けっこうキレイなものになっていると思う。
(注)「恋愛観」であり、「恋愛」ではない。あくまでも。
汚いものをするりと、通り過ぎたかんじか。
かつては、どうだったか、忘れてしまった。
覚えているとしても、忘れるほうが、今となっては自分のこころは気持ちいい。
忘れたことにする、忘却・確信犯。
わたしは、いつも、醜い、こころの裏ばかりを掘り下げて書いているかも知れないが、
恋愛に関しては、残念ながら、読む方々の溜飲を下げさせるような、そんなご期待には、まったく応えられない。
つるん、と、ゆで玉子の殻をむいたような、すべすべしたかんじか。
書けば書くほど、
パソコンやケータイの、向こう側の皆さんの、みるみる失望感が増す、がっかり感ありありの顔が見えるようだ。
でも、仕方ないじゃないですか。
自分は、自分、わたしは、わたし、なので。
皆様のために、わたしは、あるわけではなく、わたしのために、わたしがあるわけで。
恋愛関連で、もがき苦しんでおられる方々のブログを見ると、
「ご苦労様!!」
と、肩をぽんと軽く叩きたい気分になる。
「頑張って!! 」
と、明るく声をかけたい。
次に続く、
「頂上まで、あと少しかも知れないし、
永遠に頂上になんか、たどり着けないかも、・・・それより、頂上なんか、ないかも知れないけどね」
という言葉は、ごくんと飲み込み、笑顔だけを送る。
人の恋路を邪魔する気はまったくない。
頑張ってください。
ただし、ここで、文学や、芸術のジャンルから、ころげ落っこちる。
エンタメも、ダメかも。
わたしは、恋愛「卒業」とはまた違う、別のコースに行ってしまっている。
思いもよらぬ、軽快で爽快で、・・・とってもすっきりした、ぬける青空のような、そんな世界。
そう、・・・卒業したわけではない。
まさに、コースが変わった。
おどろおどろしいのは、や、だ。
年とった?
「年のせい」と言ってしまえば、すべて、終わってしまう。
免罪符か、ドラキュラの十字架か、水戸の黄門さんの印籠か。
自分では、なんでもかんでも年のせいだとは、捉えていないけれど、
ひとつひとつ、悩みが、しゅーっと消え、けっこう、ステキな気分になれて、いい調子だ。
考え方が、変わったようだ。
植物が、太陽の光のほうばかりに向かって伸びるように、明るい方にしか、向かないようになったのかも?
暗くて、じめじめ湿度が高いほうとは反対の向きに、向かいたがっているように思う。
嗜好、志向の変化か?
暗いのは、やっぱりキライだ。