人のブログを読んでいると、面白い。
何が面白いのか・・・・それは、ひとそれぞれ、面白いと感じる視点が違うからだ。
自分と違うからといって、不愉快というわけではない。
ただ、自分の考えや感性、価値観と、すべてがあまりにも全く違う場合は、
無意識に、条件反射的にシャッターを下してしまう。
お互い、相い入れず、不快なので、近寄ろうとしない。
見たくもないし、興味もない。
なにかしら共通点があるうえで、別の、相違点を発見すると、それが面白いと感じるのだ。
考え、感性、価値観、全てが同じ人など、この世にいるわけもなく、
友人というものは、ある部分が共通しているだけだ。
その、「ある部分」が、大事なのだけれど。
なので、友達にもいろいろあり、
職場仲間、学友、ママ友、ご近所さん、趣味仲間、ファン仲間、飲み友達、遊び友達、ヒマ友達、
頑張り仲間、病気仲間、悩み仲間、愚痴仲間、ネット仲間、、戦友、盟友、悪友・・・
共通の部分で、盛り上がり、絆を強める。
価値観というものは、生まれ育った環境や、生きざま、体験、精神構造などで、大きく変わる。
上昇志向の頑張り屋さん、苦労知らずの楽天家、不幸を背負う人、はね返す不屈の人、などなど・・・
だが、願望や目標と資質とが、あまりにもかけ離れていると、不幸の元だ。
犯罪につながったりする例もある。
自分を見極めて、目標を持つべきだ。
そして、一気に目標に到達しようとするのではなく、少しずつ、少しずつ、気長に、忍耐強く。
時としては、柔軟路線を取り入れ、方向変更もありだ。
毎日をいい加減に生きている人も、その人が楽しければそれでよし。
しかし、周りに迷惑、悪影響を与える場合は、NG。
人それぞれ、価値観が違うのだから、自分と近い価値観の人と付き合えばよい。
ただし、自分の属すグループだけを重んじるあまり、協調性がなさすぎると、
自己中心的な、他人を思いやる気持ちが生まれなくなったりして、
そういう人が増えると、国としても将来の展望は、憂いあるものとなりそうだが。
私は、自分が劣等感を感じている部分がある。
その劣等感分野で、もっともっと劣等感を感じるべきレベルの人がいても、
全くそんな劣等感は感じていない、むしろ、満足している人もいる。
ある意味、羨ましい。
それは、価値観の違いというよりは、棲む世界の違いだろうか。
それとも、心の持ちようだろうか。
自分の立ち位置を知って、精神面をコントロールするのと、
知らなくて、幸せなのと、どちらがいいだろう?
無知というのは、不幸も引き起こすが、時として、幸せを導くこともある。
どうせ手に届かないこと、どうしようもないこと、達成不可能なことなら、知らない方が幸せだから。
羽をもぎ取られたウミツバメよりも、ニワトリのほうが、生きるには居心地がいいかも知れない。
世の中には、いろんな人がいるので、自分の尺度は、人と同じかどうかは、微妙なところだ。
だが、私は、無知を恥じる。
知らないよりは、知って、受けとめ、そして強くなりたい。
何が面白いのか・・・・それは、ひとそれぞれ、面白いと感じる視点が違うからだ。
自分と違うからといって、不愉快というわけではない。
ただ、自分の考えや感性、価値観と、すべてがあまりにも全く違う場合は、
無意識に、条件反射的にシャッターを下してしまう。
お互い、相い入れず、不快なので、近寄ろうとしない。
見たくもないし、興味もない。
なにかしら共通点があるうえで、別の、相違点を発見すると、それが面白いと感じるのだ。
考え、感性、価値観、全てが同じ人など、この世にいるわけもなく、
友人というものは、ある部分が共通しているだけだ。
その、「ある部分」が、大事なのだけれど。
なので、友達にもいろいろあり、
職場仲間、学友、ママ友、ご近所さん、趣味仲間、ファン仲間、飲み友達、遊び友達、ヒマ友達、
頑張り仲間、病気仲間、悩み仲間、愚痴仲間、ネット仲間、、戦友、盟友、悪友・・・
共通の部分で、盛り上がり、絆を強める。
価値観というものは、生まれ育った環境や、生きざま、体験、精神構造などで、大きく変わる。
上昇志向の頑張り屋さん、苦労知らずの楽天家、不幸を背負う人、はね返す不屈の人、などなど・・・
だが、願望や目標と資質とが、あまりにもかけ離れていると、不幸の元だ。
犯罪につながったりする例もある。
自分を見極めて、目標を持つべきだ。
そして、一気に目標に到達しようとするのではなく、少しずつ、少しずつ、気長に、忍耐強く。
時としては、柔軟路線を取り入れ、方向変更もありだ。
毎日をいい加減に生きている人も、その人が楽しければそれでよし。
しかし、周りに迷惑、悪影響を与える場合は、NG。
人それぞれ、価値観が違うのだから、自分と近い価値観の人と付き合えばよい。
ただし、自分の属すグループだけを重んじるあまり、協調性がなさすぎると、
自己中心的な、他人を思いやる気持ちが生まれなくなったりして、
そういう人が増えると、国としても将来の展望は、憂いあるものとなりそうだが。
私は、自分が劣等感を感じている部分がある。
その劣等感分野で、もっともっと劣等感を感じるべきレベルの人がいても、
全くそんな劣等感は感じていない、むしろ、満足している人もいる。
ある意味、羨ましい。
それは、価値観の違いというよりは、棲む世界の違いだろうか。
それとも、心の持ちようだろうか。
自分の立ち位置を知って、精神面をコントロールするのと、
知らなくて、幸せなのと、どちらがいいだろう?
無知というのは、不幸も引き起こすが、時として、幸せを導くこともある。
どうせ手に届かないこと、どうしようもないこと、達成不可能なことなら、知らない方が幸せだから。
羽をもぎ取られたウミツバメよりも、ニワトリのほうが、生きるには居心地がいいかも知れない。
世の中には、いろんな人がいるので、自分の尺度は、人と同じかどうかは、微妙なところだ。
だが、私は、無知を恥じる。
知らないよりは、知って、受けとめ、そして強くなりたい。