へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-09-15 08:34:34 | Weblog
そんな方居るでしょ?何かとシャシャリ出て知ったかブリを撒いて、しかも言いたい事を通してしまう。でも、何と無く頓珍漢。それを皆に頷かせて満足する方。オイラの回りには沢山居ます。また、正義を貫き過ぎて、和を乱す方。正義だからシンプルなんですが、その場の雰囲気はシンプルにはならない、皆が複雑な心境になり「そうは言ってもねっー!」と呟く。月謝が足りないからです、人の意見・その場の環境・時世・経験に満ちた心境が充分でない内に熟慮交錯していない考えを馬力と威圧感と勢いで通してしまう。浅はかなシンプルである。

へんな洋食屋

2006-09-15 08:34:15 | Weblog
やって来ました、余りに頓珍漢なので驚きました。ROLEXも知らず、ましてや、18金製とも判らずどうしようもない。ライカカメラに至っては、チンプンカンらしい。目利きのプロとの駆け引きを楽しみにしていましたが、がっかりした。そのくらい極めのシンプルな品物になると価値の見当がつかないのかも知れない。マァ、誰しも自分の分野には詳しいのが常ですが、興味の外れたモノには頓珍漢な回答や笑腹するような表現をする方が居ます。知らないことは、知らないと言えば済むのに、知ったかブリをして大恥をかくのもミットもないですなっ!

へんな洋食屋

2006-09-14 08:29:55 | Weblog
実は、先週バイク同士の事故に遭いまして物損なんですが、シンプルな品じながやられました。時計・眼鏡・カメラ・スクーターですが、今更買えない金額です。マァ、保険業者がある程度賠償してくれようですが、勿論、新品を買える程ではないと思うし記念に入手の品物もあるので付加が付く。そして、その目利き屋さんが本日やって来る。おてなみ拝見だッ!人のお手並を拝見するのも多少ワクワクします。プロの目の厳しさは、よーく知っていますが品物に値を付ける駆け引きの醍醐味を味わえそうで、壊れた品じなには気の毒だが楽しみです。

へんな洋食屋

2006-09-13 10:32:00 | Weblog
シンプルで素晴らしい品じなは、大概にして高価だという事は、逆にゴテゴテと装飾を重ねた品物は下品で安っぽい。そんな風に見えるかも知れない。しかし機能は、大事だとして使いもしない機能の天こ盛りで金高をしつらえる。唯一機能の造形美の素晴らしい品じなは高価だという矛盾、マァこれも消費者のニーズだから仕方がないが、とにかくシンプルの追求には、金銭も手間も待ち合い時間も月謝も必要という矛盾にも呆れました。しかも、シンプルには上品さという品性も兼ね備えた相対的比較も得られ様々な良さを上載せられる利点が有る。

へんな洋食屋

2006-09-12 08:40:25 | Weblog
そんなウィンドーで見付けるシンプルな品じなは、極を煮詰まっている程に高価です。ちょっと不思議、装飾に頼らないシンプルな逸品が高価です。侘・寂が漂えば驚く金額が付いている。思えば、茶道は侘・寂。でも、その茶室や道具は普段使いのモノでも高価です。言わば、シンプルとか侘び・寂はお金が掛るのかっ?シンプルに到達するまでの様々な月謝(敢えて無駄とは言わないが)が必要なのは、前書した通りです。以前見た、何とかの茶勺。40万円でしたが、あれって竹ですよっ!それも、一片。つくづく侘び・寂に驚嘆し呆れました。

へんな洋食屋

2006-09-12 08:40:06 | Weblog
その矛盾なんですが、時計にしろカメラにしろ車・バイク、オーダー帽子、ギター等など様々な物品に多大な金銭を掛けました。人にも随分言われた。ようやく気付いたのが20年後だったのですが、今気付いたのが遅いとは思いません。それら膨大な資料(と言っても無駄ですが)から、現在ではモノ造りの趣味に発展しました。しかも、実用品。そして、気付いたのがモノ造りは原価と手間と技術・ノウハウですから金銭的には何十分の一の価格で満足を得られるし出来た喜びも味わえる。更に、美術館やウィンドーの商品の目利きも可能に成りました。

へんな洋食屋

2006-09-11 08:33:17 | Weblog
そして、シンプルに感性を研く事で、見聞が広がり知識となり、遂には「品性」が見に付く。品性という字も、口が三つです。しかも等辺三角形だからバランスの良い答弁、知識・経験・美しい言葉でしょ?それを備えた性なんだから人間関係全てに通じます。知識・経験だって沢山有ってもその場に適した簡潔なシンプルな言葉で答弁した方が美しいし、相手にも伝わりやすい。オイラは、その修練に多大な金銭や時間をかけてわざわざ複雑に学ぶ必要は無いと思います。シンプルを学ぶには、簡潔に気安く積んだ方が良い。多くの矛盾も有りますが…。

へんな洋食屋

2006-09-11 08:33:03 | Weblog
思えば、旅先でフッと息を付く、茶店から見上げた風景に心動き、多少の疲れも感じて「穏やかだなっー!」と呟く瞬間がある。極です、シンプルな一日だったが故の体の奥底から出た吐息。忙しい一日も良いが、「忙しい」という字は、心亡くす。と書く。心を亡くして穏やかだとか叙情なんて言ってられません。常日頃から、「穏やかさ」を感じられる修練を積むことで平凡な平常心、環境に左右されずらい心を持つことが可能です。常日頃から、それには毎週大旅行という訳にもいかないので、半日での叙情的古典派印画機械持込散歩術で充分です。

へんな洋食屋

2006-09-10 08:15:25 | Weblog
ですから、バス・電車で隣町に行ったら別世界だなっー!視点を変えれば、人間模様も物語りになる。よーく考えたら、大昔の人々なんて交通機関がないから、全て徒歩だから、そんな遠まで行かなくても行楽にしていた。例えば、学校の遠足だって漢字で遠く足を伸ばす。です。だから、一日で日暮れまでに帰れる距離で良い訳です。それだって、10〓は歩けますよッ!適度な汗でもあるなっ!途中で以前から気になっていた食堂に入るのも一興。旅姿の自分に酔える一面です。あまりにシンプルだからこそ味わえる叙情、自己発見の道場でもあるなっ!

へんな洋食屋

2006-09-10 08:15:09 | Weblog
叙情的古典派印画機械持込散歩術は、オイラのライフ・スタイルのテーマなんですが、シンプルに生きる術として大変役に立っています。シンプルな機能のクラシコカメラをぶる下げて辺り全ての現象・建造物・町並み・人間模様をフィルムに落とし、ひたすら歩みを散らして見聞を広め適度な汗をかく。考え方一つで、一歩家から出れば「旅」にもなる。視点を変えれば、近所も遠い記憶の叙情、普段通っている道だって全く違う路に成ります。姿・形に囚われないで見ればなんて新鮮な景色に見えることか!そんな、姿・形ではない心のシンプル感性。