goo blog サービス終了のお知らせ 

常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

会津駒ケ岳は霧と雨、そして紅葉

2020年10月07日 | 登山
10月5日と6日、2日間をめいっぱい使って、東北の名峰会津駒ケ岳に登った。この秋は、山行と天気の周期が、逆回りに一致してしまって、山行の計画日に低気圧が通過するパターンにくり返しである。山行の前日まで秋晴れが続いて、素晴らしい山行を期待したが、低気圧の通過にぶつかってしまった。朝、3時20分を自宅を出発してから滝沢登山口には、8時20分着。最初の梯子のような階段は、思っていたより幅の狭いものだった。すぐに急勾配の階段を登り、最初から急登となる。早朝の出発で、寝不足のメンバーにはやはりキツイ試練を受けることになった。

一つの急登を終えると、ジグザグに切った道が来る。ベンチのように利用されている倒木を過ぎる。この先、どんな驚きが現れるののか。疲れを歓びにするような感覚が身体のなかから起こってくる。もうこの山に来ることはないだろうという気が次に来る。若い登山の仲間の笑い声が、力を貸してくれる。
登山口の標高が1100m、中間点の水場は1650m地点だ。我々はこの地点までほぼ3時間を要している。視線を遠くに向けると、霧が山を包むようにしているが、高度が100mほど増すごとに木々の紅葉の様子が手に取るように分かる。最初に紅くなるのは山ウルシで、ブナの黄色が次第に目立ってくる。自然の神秘が、足を一歩進めるごとに目に飛び込んでくるのに、自分の身体の内の方で感じ取っているのが分かる。やがて、ぽつんと雨粒が落ちて来る。さっと風が木をゆすると、ばらばらと葉に貯まった水滴を落す。水場からは、勾配はゆるくなっている。小屋まで半分の道のりでは、雨にあたらずに登った。ようやく、足は朝の目覚めを迎えている。この山を登った人に言葉に、「みんなルンルンと登りましたよ」と聞いたが、この辺りの歩きをさしていたのかも知れない。
高度1800m辺りで、草紅葉が広がりを見せている。霧に霞んだ紅葉もまた風情がある。今日の登山の目的の一つであったので、一行の歓声が弾んでいる。急な登りでかいた汗が、冷気をうけて引いていく。シラビソの木が目だち始める。ポツリポツリと雨が落ちてくる。雨は少しずつ、少しづつ量を増して来る。やがて山中の木々の葉に落ちる音が広がり始める。「雨具を着ましょう」とリーダーの声。身体を動かしていなければ寒いほどの気温のはずだが、雨がきて温まった身体を冷やしてくれるのが心地いい。次第の強まってくる雨。小屋まではあと少しだ。駒の小屋は30人が泊れるが、コロナ対策で、10人を限度にして営業している。要請されたのは、土間と外便所用のサンダル。蒲団は小屋にあるが、インナーシュラフ、襟元へ掛けるタオル。雨のなか、小屋唐茶着13時10分。小屋の営業の女性の指示はテキパキとしている。靴の置き場所、濡れた雨具の乾燥室、部屋への案内。雨のため頂上と中門岳への登頂を諦め、小屋で夕食まで仮眠。本日の参加者8名、内男性4名。持って行ったお湯を注ぐだけのカレーリゾット、ビールが夕飯となる。(続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020年10月04日 | 日記
北海道の生家に栗の木が3本植えられていた。子どものころ、栗の木は大きくなって、夏は日を遮る木陰をつくり、秋になると実を落した。朝、それを拾いに行くのが楽しみで早起きした。実の入った毬が落ちていない時は、うっすら口を開きかけた毬を枝から捥いで、実を取った。鬼皮が十分に茶色になり切らず、白い部分が残っている。鬼皮をむくと渋皮が簡単にはがれてそのまま実を食べるのが好きであった。まだ幼い、未熟の味がして、口のなかに秋の味が広がった。

「近くて栗」という言葉ある。栗と九里を掛け合わせたしゃれで、成熟した栗は渋皮を剥くとき、手に着いたりして面倒なのでこんな風にいう。渋皮煮という甘煮の方法もあって、渋皮にある灰汁を抜くのに何度も煮たり、茹でた水をとり替えるので、これもまた9里歩くほどの手間を要する。岐阜の中津川というところは、おいしい栗の産地らしい。祖母が岐阜の生まれであったから、移住した北海道の家に栗の木を植えたのかもしれない。

吉田健一の『私の食物誌』に中津川の栗のことが書いたある。「中津川のはただの栗羊羹でも他所の栗羊羹とは栗が違う。尤もこういう栗で栗羊羹を作るのは勿体ない話で今まで食べた中で一番栗の味を生かしているのは、残念ながらこれも一種の菓子であっても栗きんとんと言って栗ばかりを摺り潰して固めたものである。恐らく砂糖も大して使っていなくて繋ぎに何か混ぜてあるとしか思えず、その甘みは栗のもので舌に触る粒が粗くて僅かに粘るのも栗を感じさせる。」と、岐阜の栗を絶賛している。

丹波栗というのを食べたことがあるが、大きいばかりであまり関心しなかった。栗の味で今も忘れられないのは、炉の熾きの近くの灰に埋めた栗が爆ぜて飛び出してくるのを、苦労して熱がりながら食べた焼き立ての栗だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津駒ケ岳

2020年10月04日 | 登山
会津駒ケ岳、明日登頂を目指す山。昨日撮影した絶景をお借りした。明日はどんな姿を見せてくれか。楽しみだ。天気の予報は今のところ芳しくない。念力で、いい登山日和を引き寄せる。この写真は「登山百景」様ブログより借用しております。(https://tozan100kei.com/route/aizukomagatake-takizawa.php)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋本番

2020年10月03日 | 日記
日に日にコスモスの花の量が増え、美しさが増していく。高山からは、紅葉の便りが聞こえてくる。会津駒ヶ岳、栗駒山、鶴間池と紅葉の山行計画が続いている。最低気温が10℃を切る日もぼつぼつと出てきている。名月から満月まで、ことし一番の月を見ることもできた。里芋が土つきで、店頭にならぶようになった。皮がパリパリとする秋ナスがけなげに実をつけている。草の繁みから聞こえてくる虫の音も、心なしおとなしくなったような気がする。

秋空の深さしみじみ人遠し 古賀まり子

秋の日は食べるものをうまくする。最近は、コンバインという機械が普及して田に稲の稲架を見ないようになったが、小さな田には稲架かけした稲束が見られる。秋の日で乾燥させた米は一段とうまさを増す。ウドンにもから干しというのがあって、日で干してうまさが増すらしい。梅干しやタクアン漬けもシイタケも太陽の光がそのなかに詰まっている。春のゼンマイやひょう干しなども、山菜を乾燥させて保存したものは、日向の匂いがしみ込んだ味になっている。この数日、秋らしい日が続いて気持ちがいい。これも、適度な太陽の光りに恵まれているからだ。異常気象のない、穏やかな季節を迎えるために、人々の環境意識をもっともっと高めなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べる

2020年10月02日 | 日記
昨日のウォーキングで発見したもの、クメオレ。和名では風蝶草、花びらが蝶が飛んでいるように見えるからであるらしい。コロナ太り、というのが流行語のようになっている。家にこもって、食べてばかりいる人が、この半年で体重が増えた。自分の場合は、この期間を、山登りのための筋力づくりにあてた。ストレッチとウォーキング。なかでも、3分速歩とゆっくり3分のインターバル速歩は、はっきり効果が出ている。「痩せましたね。大丈夫?」と会う人かたよく聞かれる。「貧乏でいいもの食べていないので」と答える。

考えて見れば、食べることにこだわりが無くなったような気がする。妻が作る毎日のシンプルな料理がおいしいと感じる。少し前まで、旬のもの、土地の名物などおいしものに貪欲だった。そんな時代に愛読した本がある。大河内昭爾
『味覚の文学散歩』。いま読んでも面白い本だ。取り上げた文学作品も色々だが、志賀直哉の『小僧の神様』は懐かしい。少年の頃、この小説を読んでいるが、自分が寿司が好きになった原点はこの作品にあるような気がする。
ある秤に奉公した小僧の寿司体験の話である。番頭たちが、立ち食い寿司を談義しているのを聞いて、一度寿司を食べてみたい気がしていた。往復の電車賃80銭を握って商品の配達に出かけるが、その配達先が話題の寿司店の近くだった。たまらずにその店に入った小僧は割りこんでマグロの寿司を手にしようとしたが、「それ一個60銭」と言われて、帰りの電車賃ではそれに足りないことを知って、食べずに逃げるように店を出た。それを見て可哀そうと感じたおじさんがいた。ある貴族院議員である。この人が小僧の神様である。偶然、秤の買いに来た店で小僧を見つけ、その寿司屋でお腹いっぱい寿司をご馳走してくれる。志賀直哉の文章は、簡潔でどこまでも小気味いい。

「食食食」と書いて「あさめし・ひるめし・ばんめし」と読ませる雑誌に小説「料理」を書いたのは、耕治人だ。知り合いの金持ちの家に滞在して、朝、昼、晩と膳に盛り切れぬほどご馳走攻めにあった主人公は、糟糠の妻が作ってくれるシンプルな料理に思いが及ぶ。「ほんの一切れの魚、僅かな野菜の煮つけ」その食事から感じるのは、その料理に含まれている清潔で、豊かな生命であった。それを「食べれば、じかに私を養ってくれる気がした」と書いている。食べるという行為は生きている人間に必須のものだ。毎日の食事に、こんな命を支える力を、あらためて考えてみるべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする