常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

実り

2020年10月01日 | 日記
季節を感じることが、どうも狂ってしまったようだ。9月の中旬まで続いた季節は外れの高温が、身体のセンサーを狂わせてしまったのかも知れない。10月になって、田には杭に稲の束が掛けられ、栗のいがが口を開け、木陰から金木犀の香りが漂う。見上げれば、花の蕾が少しだけ開いている。暦どおりに秋は来ているのだ。だが秋はも言う少し先にあるような気がしている。秋が来ることへ、気持ちの準備が整っていない。

生協へ行くと、今年の新米が積み上げられ、キャンペーンガールが新米が印刷されたテッシュを配りながら「新米はいかがですか」と声掛けをしている。ある本に、秋の語源は「飽く」だと説いていた。あらゆるものの収穫が盛りとなり、誰もが満腹して食べ飽きるということらしい。今日、仲秋の名月。雲が出てあいにくの日になった。きのう、前日の美しい月を見たので、よしとすほかない。

無月なりうら安しとも言ふべきか 相生垣瓜人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする