春になって会いたいものが三つある。雪の消えた広場や田の畔を通りかかると、無意識に探してしまう。フキノトウだ。雪をかき分けるようにして蕾を探すことさえある。淡い黄緑を見ると、眠っていた小さな命が目を覚ましているように思えてうれしくなる。
まぼろしに現まじはり蕗の薹
萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ 斎藤茂吉
茂吉もフキノトウが庭の隅に出ることを待ちわびていたのであろう。葉の部分を採り、味噌汁に2、3片浮かべる。熱いみそ汁から漂うフキノトウの香りは、まさに春の香りだ。今年初めて見かけてカメラに収めたが、束の間の晴れが去って、ミゾレ模様。春は逡巡して、ゆっくりと来るのか。
オオイヌノフグリを見ると、春の陽ざしを受けて、一斉に笑い顔を見せている。小さな花で、野菜を作っていた頃には、草を取り残したところにかたまって咲いた。雑草ではあるが、雪のとけた野原にたくさん咲いているのを見ると、大切なものに再開した気分になる。
いぬふぐり星のまたたく如きなり 高浜虚子
この間蕾だったフクジュソウが、2日の暖かい陽気で花を開いた。カタクリなどとともにスプリング・エフェラメル、春の妖精と呼ばれる。太陽をいっぱい受けて根に栄養を蓄える。夏になると姿を消して、根を育てることに専念する。そんな花の生態を知った人がつけた粋な名だ。春は、小さな生きものの命が輝く季節だ。