常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山刀伐峠

2022年03月20日 | 登山
おくのほそ道の旅で、松尾芭蕉がこの峠を越えたのは、元禄2年5月14日のことであった。この峠の最高部に地蔵堂がある。その後ろに、山刀伐峠と刻まれた碑があり、「おくのほそ道」の一文が書かれている。

高山森々として一鳥声きかず。木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分、踏分、水をわたり岩に躓て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。

この峠を降りて最初の集落が市野々である。ここの地区の人々が、山刀伐峠の古道を守り、奥の細道を今に伝える地道な努力をされている。毎年のお彼岸の頃に開かれる「山刀伐峠カンジキツアー」は、」この地区の恒例行事である。この近くで生まれたsさんは、このツアーに山の会を参加させようと早々に参加申込みをしてくれた。残念ながら地区行事は、コロナのために中止。わが会だけ参加のカンジキツアーとなった。案内は地区区長の山口忠博さんと菅藤公民館長。

区長さん持参の烏帽子は、峠の山の形をなぞって作られている。それを被り、カンジキを履いて峠道に入る。見れば区長の履いたカンジキは長靴より一回り大きいだけでコンパクトだ。雪の季節に兎を狩るためのカンジキで、この地区の伝統であるらしい。莵が木の林に逃げ込むと、杉の枝を空へ投げ上げる。それを鷲と勘違いした兎が、雪のなかに潜りこむ。そこへ走って捕獲するためにカンジキが動きやすいコンパクトなものになっていると説明してくれた。

偲い木坂の悲恋、一日早い刈り上げ餅、峠に住むことになったいきさつ等など。ツアーなれしているのか、山口さんの話題はユーモアに富んでいる。船下りの船頭さんの話ぶりに似た感じがしないでもない。笑いながら、最後の急坂を登る。半分雪に埋もれた地蔵堂と山刀伐峠の石碑がある。祠の傍らに樹齢数百年という杉の老木がある。一本の幹から数本の枝でているこの杉は「子持ち杉」と呼ばれ、傍らのお地蔵さんは「子持ち地蔵」「子宝地蔵」と呼ばれ、子宝、安産の祈願に訪れる若者が多い。お賽銭を上げ、孫の安産を祈願する。
帰路は急坂を下ってトンネルの脇の国道に下る。参加者13名、内男性2名。

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