
主のいなくなった家の庭に今年も南天が紅い実をつけた。庭の手入れをする人もいないのでどこか寂しげな雰囲気である。本来ならつけているべきところが歯がぬけたようになっている。だがその赤い実はあくまでも南天であることをけなげに貫こうとしている。もっとたわわにつけた実に雪が積もってようすを、廊下の窓から眺めていた主の姿が見えなくなって、2回目の冬がやってくる。主はもうこの南天の存在などは忘れてしまっているが、南天の実はその主の姿を忘れてはいない。
実南天曙楼は古びけり 川端 茅舎
この家の主はなぜ庭に南天の木を植えたのだろうか。赤い実の南天の傍らには白南天も植えられている。紅白を取り合わせることで我が家の繁栄を祈ったのであろうか。主の意図を知ってか知らずか、秋が深まると実をつける。その実はさびしげな様子を見せながらも、赤い輝きを放ち続ける。