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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

村山そば街道

2015年11月02日 | 日記


最上川の三難所のひとつ隼の近くの山際に三郎兵衛という」山家のそば処がある。旧友のM氏の案内で行ってきた。このそば街道の定番は板そばである。イカのゲソ天がついていた。ほかにキャベツの浅漬け。そばは大久保のあらきそばに似た太打ち、新そばの香りと甘味が口いっぱいに広がった。平日のためか、昼どきであったが客は我々の二人だけ、食べ終わるごろに宮城からの二人連れが入ってきた。山のなかは雨降りであったが、本当に静かなそば処でそばを堪能した。

そば喰ふや江戸の奴らが何知って 一茶

そばの名産地で生まれた一茶は、そばについてはひとかどの通であったらしい。江戸前のそばに比べると田舎のそばは、太くて一箸で口いっぱいになる。そばとはそれほど上品なものではなく、コメがまだ収穫されない時期や凶作の飢饉のときに、人々の飢えを凌いだまさに救命の食であったのである。そばの原産地はアジア東北地帯で、日本へは朝鮮半島を経由して渡来した。伊吹山から木曽路、そして甲斐や信濃から広く山間地帯に播種されるようになった。

山形の市内には、江戸前のそば打ちをするところと田舎そばの太打ちが両立している。私は田舎そばに軍配をあげる。車を走らせて村山のそば街道や次年子などで味わうそばは、日本人の歴史を支えてきた食の強さを感じさせてくれる。

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