修羅、畜生、餓鬼という分類を用いる。
修羅人は武人・軍人やスポーツ選手らの質で、広く不幸を見ようとするが勝利、達成、サディズム、マゾヒズムを善とする。
畜生人は農業漁業牧畜業らの質。 身内の幸不幸を重視し
足引っ張りだらけの嫌な世界。
畜生人は殖産を善とし無関係な他人の不幸は無視する傾向を持つ。
餓鬼人は無思慮、短絡的で幸不幸を見ず、喜びを善とする。 ここで言う喜びとはその場の雰囲気、一時的瞬間的な感情のそれ。
餓鬼人がトップ、畜生人が幹部を固めた企業があったとする。 トップの畜生人は他企業のリーダーらを内心馬鹿にしつつ雰囲気で上手くやる。 幹部ら修羅人は「社員をもっと働かせよう」「下請けを我々の利益に殉じさせよう」「我々は彼らに成功を与えている、彼らは喜んでいる」とトップに働きかける。 トップはいい雰囲気に浸り自身の善政を信じ込む。 畜生人たちは唯々諾々と従い続ける、と、こうなる。 内に外に害悪を垂れ流し続ける外面の良い一流企業だな。
社会の主導権を畜生人らが得るとそこは封建化する。 あちこち保守的になり「今のままでいいじゃん」が常識化する。 修羅人らが権力を握ると軍事国家化する。 自分たちが高位にあり続ける事こそ善とし自分たち以外から収奪し続ける。 畜生人だとマフィア化する。
畜生人らによる社会のマフィア化。 大小マフィアたちが抗争を続ける、ある種の全員が不幸な社会だが、畜生人はそう捉えない。 これが不幸と希望の関係。
畜生人らにとっても軍事国家や封建体制の方が、不幸が少ないのだがそこに彼らのウケはない。 不幸の性質として希望が有ればそれを感じない、というものがあり、状態としてより不幸なマフィア化を彼らは選ぼうとする。 そこでこそ彼らはウケ、栄達出来る可能性があるから。
修羅人は武人・軍人やスポーツ選手らの質で、広く不幸を見ようとするが勝利、達成、サディズム、マゾヒズムを善とする。
畜生人は農業漁業牧畜業らの質。 身内の幸不幸を重視し
足引っ張りだらけの嫌な世界。
畜生人は殖産を善とし無関係な他人の不幸は無視する傾向を持つ。
餓鬼人は無思慮、短絡的で幸不幸を見ず、喜びを善とする。 ここで言う喜びとはその場の雰囲気、一時的瞬間的な感情のそれ。
餓鬼人がトップ、畜生人が幹部を固めた企業があったとする。 トップの畜生人は他企業のリーダーらを内心馬鹿にしつつ雰囲気で上手くやる。 幹部ら修羅人は「社員をもっと働かせよう」「下請けを我々の利益に殉じさせよう」「我々は彼らに成功を与えている、彼らは喜んでいる」とトップに働きかける。 トップはいい雰囲気に浸り自身の善政を信じ込む。 畜生人たちは唯々諾々と従い続ける、と、こうなる。 内に外に害悪を垂れ流し続ける外面の良い一流企業だな。
社会の主導権を畜生人らが得るとそこは封建化する。 あちこち保守的になり「今のままでいいじゃん」が常識化する。 修羅人らが権力を握ると軍事国家化する。 自分たちが高位にあり続ける事こそ善とし自分たち以外から収奪し続ける。 畜生人だとマフィア化する。
畜生人らによる社会のマフィア化。 大小マフィアたちが抗争を続ける、ある種の全員が不幸な社会だが、畜生人はそう捉えない。 これが不幸と希望の関係。
畜生人らにとっても軍事国家や封建体制の方が、不幸が少ないのだがそこに彼らのウケはない。 不幸の性質として希望が有ればそれを感じない、というものがあり、状態としてより不幸なマフィア化を彼らは選ぼうとする。 そこでこそ彼らはウケ、栄達出来る可能性があるから。
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