カエル王とは、とある人物がカエルを名乗っていて、ここいらそいつの在り方が王っぽくなってきたから。
カエル王が悟性を求めない理由は?
→ 他人の幸不幸に興味がないから。
何故カエル王は他人の幸不幸に興味がない?
→ 他人に求めているのが自分に向けた雰囲気だから。
どうしたら彼のような人間が幸不幸に興味を持つようになる?
→ 子供が出来、育ち、離れて暮らすようになり、接しない子の幸福を願い続けるようになり、他人も同じだと気付いてから。
ここまで考えて、ちょっと待てと思う。 何故今までそうなっていなかったのかと。 もちろん経験不足が答えだろう、だが親族友人が来たり去ったりするのが前半生だったはずだ。
なるほど。 彼等にとって周囲の人間は、アレクサのようなものだったのか。 採点機能付きで報酬が発生したりしなかったりする。 そういうものだという観念から悟性を嫌う。
人は子育てを終えれば「アレクサの主」から人間に進むのか。 否だろう、数が合わない。 偶にそうなる、というだけ。 自然とそうなるのならアフリカは先進国で欧米は略奪者ではない。
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