「老後をどうするのだ」という問いが常にある。 下らない。
私に与えられている理は「老人がゆるく働いて幸福に暮らせない社会なら続けさせる理由がない」である。 彼らにはこれを為す気がない。
彼らは「切磋琢磨」と言う。 私の目に彼らは骨の髄まで、魂の奥底に、騙し、搾取、略奪虐待が染み込み刻み込まれていてそこから私に、ディアスポラ・ユダヤのような生を与えんとしている。 私は彼らに不倶戴天と返す。
何故宝くじなのか。 親がうるさいからである。 他の理由としては遊び金が欲しいというのもあるが、その実私は無料の娯楽でも割と満足する方である事を知っている。 親がうるさい。 そこで彼らの口に突っ込む札束を求めている。 それだけである。 サラリーマン時代そうしていた。
前にコンビニ夜勤をしていた。 それなりに展望もあった。 体力が続くのならば、ゆっくりと社会に戻っていくだろうという。 これを異としたのはアテンである。 彼らはアテンの協力者なので彼らにも責任はある。 アテンは彼の判断でそうしたもので、それでいい。
彼らの温存努力、維持行動はことごとく敵対となる。 ユダヤ人を基準とする彼らの在り方が価値のないもの。 彼らには彼らの、彼らが善意と称する骨の髄、魂までの悪意にふさわしい地位が与えられるだろう。