狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

宗教の必要性/何故戦わないんだ?

2024-08-25 05:08:26 | Weblog

「若者のイスラム離れ」のようなニュースを目にした。 日本人の反応は歓迎派が大多数のように見られていた。 これがコメントの恣意的抽出によるものか世相をそのまま反映したものかは不明だが、おそらく後者だろう。

もともと日本にあったイスラム教への偏見は「テロリストだ」というもの。 最近だと埼玉に出現したクルド人地域がこれを強固にするものとなっている。 私なら「クルドの現状に関してはユダヤが悪い」と言うが。
私個人のことを言うと「クルド人は知らん、グルカ人なら何人か知ってる」である。

人が人を殺さない理由は宗教である。
人が人を殺さない社会を作ろうとし、その理由を求められたとしよう、出てくる言葉が宗教になる。 宗教を理由に殺すべきではない、となるのではなく、殺すべきではない理由が宗教となっていく。
宗教抜きだと「利益として殺さない」だけが理由となり、その裏のルールは「利益になるなら殺して良い」である。 「愚民が殺しを行うのは権力者の利益にならないから警察権力を振るう」という理屈はまさに左翼そのもの。 左翼、リベラルとはそういう人間たちのことである。 嘘の上手い悪人たち。

反宗教の流れ。
私は既存宗教を隠蔽主義者たちと見る。 私の在り方は「教えてやる」「学べ、悟れ」である。
反宗教の流れを昔からよく見るものと捉える。 ヒッピーやフリードラッグなどと同様の。 キリスト教徒が戦わないことに懐疑の目を向ける。 彼らは「神の計画」と言い、自分たちだけ信仰を持てばいいとする。 私は試練と逃げ道だろうとする。 「昔戦った、もう疲れた」なら同情するが。

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