・現時点で悪党どもが改心してない
・天使共が予測型ではなく情緒型
・計画優先で足止めばかりだが「環境整備以上の意味はない」と理解していない
アクエンアテンが海の民掃討を決めた時にネフェルティティが「神ならああいった連中を神の民にしてみろ」と言ったのがユダヤ人の始まり。 ならず者の中で特にひどい連中が選ばれて傭兵「契約の民」となった。 テストケースとして。
その適用がキリスト教徒。 だがそこから二千年の結果に「悪し」としか言いようがない。
他人の幸福を願うのならば、予測し続けるより他ない。 彼らにはこれが無い。
馬鹿は自由を持て余す。 だが自由意志がなければ人として生きる事は出来ない。 後見者は予測し、備えさせ、見守り、そして備えを修正し続けなければならない。 彼らにはそれがない、彼らが求めているのは他者の幸福ではなく、善の美名である。