悪感残りも悪感と同じだとすると悪感の数が同じとしても
残す人と残さない人とで一日の状態はかなり違ってくるだろう。
飲酒運転による交通事故を見たとする。
飲まない人、運転しない人、飲んだら運転しない人にとってそれは
他人事、なにかの気まぐれに状況に同情するかもしれないが
迷惑な人もいる、ただそれだけ。
飲酒運転する人はどうか。
さして気に止めないかもしれないが一瞬は、過去の自分にかぶる。
そんな時人はどう考えるだろうか。
自分は運転が上手いからああはならない、彼は運が悪かっただけで
同じ事は自分には起きない、巨悪が居るから飲むしスピードも出す、
人は飲む生き物であり車の運転も当然そのままするに決まっている、
飲酒運転をするなと言うだけできちんと止めない世間が悪い、
などなど。
過去に飲酒運転で事故を起こした事が有りなお飲酒運転を止めない、
そんな人の場合はどうだろうか。
仲間が増えた事を喜ぶかもしれない。
そういう人たちがそういうことを当たり前だと考えているのなら
それはまさに、そういう文化なのだろう。
他人に対して悪く在ることを選ぶ人は、同様に悪く在る他人を
見た時の悪感が自分自身に当てはまる。
そうした時にする行動が違い探し、巨悪探し、正当化探し
といったものなのだろう。 自分を見る事を避けられる。
繰り返せばそれが当たり前になり、
自分が何故そうしているのか気付かなくなる。
鼻クソほじりは、貧乏ゆすりは、枝毛探しはどうか。
気になる人は気になるだろう。
気になって人前で自分がするのを止める人も居るかもしれない。
まあその辺は、社会が変わるとしても先の話かと。
残す人と残さない人とで一日の状態はかなり違ってくるだろう。
飲酒運転による交通事故を見たとする。
飲まない人、運転しない人、飲んだら運転しない人にとってそれは
他人事、なにかの気まぐれに状況に同情するかもしれないが
迷惑な人もいる、ただそれだけ。
飲酒運転する人はどうか。
さして気に止めないかもしれないが一瞬は、過去の自分にかぶる。
そんな時人はどう考えるだろうか。
自分は運転が上手いからああはならない、彼は運が悪かっただけで
同じ事は自分には起きない、巨悪が居るから飲むしスピードも出す、
人は飲む生き物であり車の運転も当然そのままするに決まっている、
飲酒運転をするなと言うだけできちんと止めない世間が悪い、
などなど。
過去に飲酒運転で事故を起こした事が有りなお飲酒運転を止めない、
そんな人の場合はどうだろうか。
仲間が増えた事を喜ぶかもしれない。
そういう人たちがそういうことを当たり前だと考えているのなら
それはまさに、そういう文化なのだろう。
他人に対して悪く在ることを選ぶ人は、同様に悪く在る他人を
見た時の悪感が自分自身に当てはまる。
そうした時にする行動が違い探し、巨悪探し、正当化探し
といったものなのだろう。 自分を見る事を避けられる。
繰り返せばそれが当たり前になり、
自分が何故そうしているのか気付かなくなる。
鼻クソほじりは、貧乏ゆすりは、枝毛探しはどうか。
気になる人は気になるだろう。
気になって人前で自分がするのを止める人も居るかもしれない。
まあその辺は、社会が変わるとしても先の話かと。
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