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アラフは扇動者、教育を知らない

尊さについて

2009-12-23 02:59:13 | Weblog
尊さの
言葉が掛かる
天秤の
皿の一方
今の生活

なんか偉かったり希少価値があったりするものを尊いと言う。
自分も時々使ったりする単語なのだが、改めて考えるによくわからない価値観だ。

寒くなってきた。
布団を被って書いているのだが、キーボードを打つ指先の感覚が
冷たさに無くなっていく。
そんなわけで先ほどヒーターの電源を入れた。
この冬初めて使う。
去年まではもっと早い時期から使い始めていたので
今年は無駄を省こうという意識がそれなりに働いていたのだと思う。

ヒーターの電源を切った。
五分くらい点けていたか。
布団の中でじっとしていると暖かくなってくる。
まだしのげるな。

尊さってなんなのだろう。
何かを尊いと感じる。
心の持ちようか。

命を尊いという。
だが大腸菌を尊いということはあまりないだろう。
何かを尊いということはつまり、それ以外は尊くないということか。

貴い犠牲という。
尊いと貴い、日本語での発音は同じだが漢字が違う。
前者はもっぱら神聖さ、後者は貴重さの意味で使われる文字のはず。
自分が助かった側、犠牲にならなかった側にいる時に貴い犠牲と言う。

命の尊さ。
自分が助かっていることと違う状態とをなんらかの形で比較する時に
感じることが尊さなのだろうか。

今ブログのトップページを見たがこれ、
616個目のエントリーだな。
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