狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

苦行化時間は連続3時間、一日6時間くらいからだと思う

2021-12-20 17:41:33 | Weblog
アニメの連続視聴時間が2時間を超えると気が散ってき、3時間くらいから苦行の領域に突入していく。 また、一日に視る時間がおそらく6時間くらいが、翌日視るのが億劫になってくるのではと感じる線。
個人差、体力や対象の容易度、周囲の環境などが影響するだろうから一概にこうだとは言えないが、「好きな事でも連続3時間以上はキツイ」というのはわりと一般的な感覚なのではと思う。

この線を教育や労働に当てはめて考える。 すると、一日6時間以上の勉強・同一作業は、それを嫌いにする作用があると。 長く嫌わずに居るためには同系統作業は、一日6時間未満でなければならない、が解となると。 これは現在の学校環境・就業状況と大きくかけ離れている。

この「3時間‐6時間上限」を現実の教育に当てはめると、午前中座学2時間、実作業・見学系を1時間、午後座学2時間、体育・音楽・絵画・料理系を1時間、とかとなる。 料理は午前の方がいいか? 座禅みたいなものも取り入れたいが、これは座学と作業のどちらに分類されるのか不明。
こういう案に「座学の時間が足りない」などとの返答が来るだろうが、例えば小学生に掛け算を教えるに座ってドリルをやらせるのと段ボール運びをさせるのと、どちらが有効だろうか。 小学校一年ならば足し算引き算を教えた直後に果物でも剝かせる方が、はるかに学習効率が高いだろうと見る。 二年の掛け算ならカートンのブロック積み、割り算ならば水他液体のボトル詰めとかだろう。
賢い親は自分の子供に対し、自然とこういう教え方をする。 「〇〇さんはやってない」みたいな反論が来るだろう私に言わせれば、事教育に関してはソイツが馬鹿なのだと。 だが学校教育でこれをやろうとすると、条件が難しくなってくる。 座学のち実学、はちょっと考えれば当たり前で、伸ばしたい相手がいるならば誰もがやりたいと思う教育方法だろう。 だがちょっと待て。 現状の学校教育は「やりたいけど出来ない」ではないのでは。 単に「やってない」だけなのではと。

何故やっていないのか。 教育界に苦行信仰みたいのが蔓延っていてそれが、先日見た「キノの旅」の電波の国みたいになっていないかと。 子供を勉強嫌いに押しやる事に何のメリットがあるのかだが、メンツ主義者はそういった状況を己の利得とする。 苦行を科す志向・慣習は社会を少しずつ地獄に変えるが、それを喜ぶ人間たちも居る。

続いて就労。 古代から連続3時間以上の同一労働は苦行だったのではと思う。 農業でもそうせざるを得ない状況は「農繫期」などと呼ばれていただろうし、その場合でも実作業の前後や合間に準備点検、作業調整、作業対象の分量確認、環境整備、片付け、移動などが入る。
「現実の社会で苦行にならない、なりにくい労働形態はどんなか」だと、午前午後で作業場を変えればいい、となる。 フリーターなら別の仕事を掛け持ちすればいい。 「一か所で一日8時間労働」が当たり前の現状は狂気に近い。

何故現在の労働環境はこのような狂気となっているのか。 作業効率もあるが、苦行信仰とマウント取りだろう。 習熟すれば「多少は楽に」なる。 そうすればその「多少の差」で新人いじめなどが可能となってくる。 これを人生の目的としている人間は狂気の社会の方が好ましいわけだ。 作業効率の観点から「有能」の評価も得られる。 実際には事故を誘発しているのだが、これは個別にはいじめられる側が悪い事になる。

この「狂気の社会」を好んでいる人間かどうかはわりと簡単に見分けるポイントがある。 その人が事故を当然だとするか、防ごうとするかの差である。
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