狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

「aを優先、bを非優先固定」みたいな感じの教育ってどんなか考えてみた

2019-12-30 17:41:46 | Weblog
「ボケて」ネタで
>(出席番号で)「あ」と「う」の間に8人いるって異常だぞ!

というものを見た。
で、考えた。 頭文字「あ」がもう三人、「い」が五人とかならワンチャンあるか?と。 
別解。 名字の同じ人間が集中して住んでいる地域とかが時々ある、そういう場所の学校なのではと。
さらに別の。 ジェンダーフリー系の試みで女を全員先、みたいにしたのかなと。 「ボケて」ネタの画像を良く見たら名前は両方男だったのでこの解はボツ。

昔ジェンダーフリー系のネタで「出席番号で男が先に来るのはおかしい」という問題提起があった。 指摘としては合っているが、本音は「自分たちに優先権を寄越せ」だろう。 「出席番号くらい」と思う人が大多数だろうだが実際には発表順番だと先頭が一番有利というのがある。 選挙演説なんかだと時々揉めるかもしれない。

こういう教育方法最大のデメリットは、大半の人間が「何を目的に優先するのか」を考えなくなる事なんじゃないかと。 「目的が明示され優先者が決められる」が本来あるべき姿なのに「目的を明示されない」が当たり前になっている。 情報統制系の常識を植え付ける愚民化教育になっているのではと。

メリットを挙げるなら「元々そう」で「自然と決まる」である。 社会に発生する問題の九割が人間同士の揉め事だとするとこの「元から決まっている」というのは有益だろう。 だがそれ以上の意味はない。

人間の在り方が三通りくらいあるんだな。
1 全体益を考えて動く
2 考えないが、揉め事は起こさないようにする
3 考えず、揉め事を起こす

自由主義の理想ってのは1だわな。 これに対し、封建主義ってのは2。 社会主義ってのは現実には3。 他人が「自分が不当だと感じる利益」を獲得できないようにしようとする動きで、これは「考えるな」という教えと「揉め事を起こせ」という教えとが共存している。 社会主義自体が統制を目指したものである以上そうなる。 北朝鮮とかは間違った方向に進んだ結果だとされるがそうじゃない。 社会主義とは最初からああいうものなのだと。
「自由主義だって自分が好き勝手にやりたいだけだろ」と指摘する人も多いと思う。 違うんだな。 自由主義ってのは「他人が好き勝手にやるのを認める」だから。 だから理想としては社会参加者全員が全体益を求める状態となる。 最初から「他人にマイナスを」「自分に統制権を」で出来ている社会主義と違う点がここ。

個人が全体益を求めるってどうしてそうなるの?という話になってくる。 仲のいい友人関係のグループが無人島に漂着した状況を考えてみればいい。 その少人数グループにつき各人全体益で動くようになると期待できる。 学校教育の場が「そうした場でそうするとこうなる」といった知識を与える場のはずなのだが。 現状教師たちが教えようとしているのは統制だけなんだねといった感想。
コメント
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