歴史的悪と体制選択の問題

2018-12-04 23:06:32 | Weblog
ポピーはヒナゲシで、少し前に中国が「アヘン戦争のイギリスがケシを記念日等に用いるのはけしからん」と咬みついたがこれはいちゃもんに近い、とか、昨今イギリスオーストラリアの反中化は変節ではなく勢力交代に近く個々の有力者で見れば必ずしも不誠実なわけではない、だが国民と経済界の態度は変節とする方がより正確、とか、中国政府本体は臓器収奪に関わっておらず有力者が個々にやっている、とか、イスラエルが臓器収奪を調査した理由は通常の臓器移植ルートに国際ユダヤ人が関わっていて彼らの犯罪行為を追跡したものの一部、とか書こうと思っているのだが、正直微妙。
本音はゲームネタを書きたいのだ。 そこから自然と人の悪を書く方へと入っていくそれなら新ネタも出る、以前使ったネタを再度引っ張り出す必要もなくなる。

さて、今回の標的もといネタは引き続きフランス。
フランス人にはアフリカ中東、インドシナを支配していた頃を「古き良き時代」とする傾向があり、国際感覚、外交常識も自然とこの辺が基準になりがちだと。 これは悪徳と言っても良いだろう一方で、当時の支配にも善政と呼んで良い部分もあった、はず。
この、とりあえずベトナムとするか、フランス人の「ベトナム支配良い時代」感覚は、右派、保守派の側に強いとする。 これを非難するのが左派。 左派はこうした部分から「彼らが悪で自分たちが善」とする。 私はそんな彼らを「インチキ集団だ」とする人間である。 判り易く書くと、毒薬のラベルを張り替えて「これは新しい薬です体に良いです」とするのが左派。 ここで言う新しいラベルが前世紀の「インターナショナル」であり昨今の「グローバル・スタンダード」であり、リベラルなのだと。

左派とは端から悪意の勢力なのだ。 左派の言う自由とは他人を不幸に誘導する行為のそれである。 父親には責任放棄を、母親には家庭放棄を、子供には暴走、薬物、乱交を勧める事を禁止させない、その為に結託しているのだ。
左派の言う「善」とは他人に悪徳を進める際に貼る、ラベルである。 彼らは二言目には「宗教モラルを捨てろ」と言う。 「我々が与えるラベルのみが善なのだ」と言うが、それはその都度変わる。
リンゴでもバナナでもいい。 箱いっぱいに入っていたとしようこれを分け与える場合。 右派はだいたい、「必要な分だけ取っていってください」といった張り紙でもする。 これに対し左派のする事は「一人いくつまでかを決めなければならない」「本当に必要な人のために取り置かなければならない」とし、だれがそれを監視し管理するのだと問われれば「それは我々左派でなければならない」と答える。 彼らの言う社会主義とはそういうものなのだ。 「全員が悪意で動くはずだから我々が管理する」とし、管理できるのかと問われればその答えは「実現可能かどうかはどうでもいい、我々に決定権がある事こそが」となっている。

こんなものである。 毎回こう。 冷戦中もそうであり冷戦後もそう。 以前もそうだったのだろう。 そんな彼らを国民が選挙で選ぶ。 毒に貼られた綺麗なラベルを見て。
コメント
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