2355というNHKの番組内でやっているおやすみソングという歌。 しばらく
見ていなかったが最近また見だした。 プカプカたこ、というのが出てきた。
それと神学とどこが関係しているんだと疑問に思われるか、あるいはただの
近況報告とするか。 いや実はね、ちょうどダゴン神殿捜索中だったのよ。
どこかなーって。 拍子抜けしてしまったが「しばき隊」変更報道問題とか
もあるし。
ちなみに渦仮説のインスピレーション素は顕微鏡で覗く世界。
19世紀まではアメリカ四ツ首案もあったんじゃないかと思っている。
具体的には英語圏、フランス語圏、スペイン語圏にインディアン、黒人、
ポルトガル語圏が組み合わさる形で四勢力となると。 獣の海渡り没案が
アシカ作戦だね。 先月も有ったよ。 異動したでしょ、いろいろと。
洪水前、エデン世界を時計回りに北東が赤、南東が緑、南西が黒で北西が白
だったと見ている。 一番マシ、意志の弱い連中を従属化させる奴隷支配層
でもなく所有者が居なくなると殺し合いを始める精神的奴隷層でもなかった
緑を中心として新しく作り直されたのがメソポタミア世界。 だったんだ
けど結局そこも駄目だった、そこで追加創造されたのが育成地エジプト世界
と実験地インド世界。 その分だとアフリカが黒じゃんなんで現状欧州が黒
なのとか問われるだろうそれが霊の移動。 霊の移動によって人の異動が
有る。 お憑かれさまで獄労さまってヤツだね。
さて病気神学。 人はなんで病気になるのかなーってのを神学的に解釈して
みようというのが今回のテーマ。 病気の理由を大雑把に二つ見る。 一つ
は不具合の取り込み。 一つは人に足りないため。 それらがなんで病気と
医者による治療、患者の治癒という形をとって社会に在るのか。 これは
「霊のそぎ落とし」が人と人との関係によって為されているからであり
人からそぎ落とされたモノもまた霊であるからだと。 「邪神人化の理」
みたいな話で、霊が別の渦になる時に形質が継がれるこれが遺伝と。
人に足りないとはどういう状態なのか。 時々乳児が死から復活する話を
目にする。 心配停止状態、脳死判定されるような状態から息を吹き返す。
奇跡だ人体の神秘だ言われたりするが私はこれヤツらが生き死にを理解して
いないだけなんじゃないかと思っている。 理外れなんだね。 だから平気
で生きたり死んだりする。 人に足りない。 でも人であれ、とされる。
足りない部分は人の世界からもってくる。 足りない部分が埋まるまで病気
で在り続ける。
神様が居るのに何故病人は足りない状態、削がれる状態で苦しむのか。
私はこれを神様が神様だからだと解釈する。 日本の新人たちに判りやすい
だろう表現をするなら神様が手を出すときれいなジャイアンが出現して
しまうから。 それによって元のジャイアンの「ジャイアンらしさ」は消滅
する。 もっと言うと、霊にとって最も自然な状態とは神様しか居ない状態
なのだと。 世界が神様の意思一つに統一されるこれ神様以外の意思の無い
状態、つまり人の自意識が消滅した世界。 霊は神様の意思なんだろうと
言われれば「元は」と答える。 神様が移動するこれ霊、特に天使性の高い
連中にとっては特使の本国消滅みたいなもの。 本国消滅特使同士が衝突
するそれが渦でありそこに自由が在ると。 結果多くの人が人に足りずまた
霊を取り込む過程で不具合が起きる。
さて、また移動があったと書いた。
また配置が変わったわけで、先月まで「正」だったはずのモノが引き続き
そうであるとは限らないと。 個々に判断が試されるという事である。