狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

人が生き続けない理由ってなんぞ

2013-06-19 11:04:37 | Weblog
近況報告。 先日ちょいと暴発があった。 少し前に天使筋から退避勧告が
あった。 現状勧告無視状態なのかと言うとまあそうなるのだが、さてどう
したものか。 天使筋自体をどう見るかで考え中でもある。

人は何故死ぬのか。 神様が居るのに何故死ななければならないのか、だが、
これの答えをアル中と中国人に見る。 前者は個人的、後者は社会的な理由。
人の多くは歳を取ると精神がアル中様になる。 人を構成している意思が
意思に対して攻撃的になり自壊が進む。
他にはボケもあるわな。 変化していく世界に対し精神が固定的、日敵的に
なった結果、人を構成している意思が遊離していく。
だったらアル中でもボケでもない人は死ななくてもいいんじゃね?って話に
なってくる。 そうかもしれない。 そんなこんなでそちらは「種」なん
じゃないかと見ている。

中国。 現在そこで何が起きているかだが、経済発展がそのまま国土崩壊に
なっていて、外交活動が露な物欲と支配欲で出来ていると。 中国が問題で
ある理由は中国が外国を侵略する点でもなく中国が侵略する事で中国内少数
民族となった人たちが迫害される事でもなくまた中国が侵略される事でも
ない。 それらは他の地域にも共通している。 「中国が問題だ」とする
理由にはならない。 中国の問題は中国歴史文化が「侵略を正」としている
点にあり、現在中国にある問題視すべき現象最大のものは中国人が中国人を
侵略している事だ。 戦争や迫害、あるいは後進国からの破壊的詐取は中国
でのそうした一般社会現象の周辺部でしかない。
君子が人民の意思を奪う、これを正とするのが中国。
意思を奪う人の精神がそのうちどうなるかは歴代の皇帝の最後でも見れば
いいのかな。
人は意思の束であるが外部に対して意思の奪い合いをするのが旧来の社会。
よって人は死ぬ定めにあった。

ちょっと哲学っぽい方向に行ってみる。
人の自由意志ってなんぼ。
ある状態で、行動の選択肢が四つあったとする。
例えばこんな。
・殴る
・騙す
・泣く
・逃げる

大勢の人がその状態にあって全員がランダムに選ぶとするとそれぞれ大体
四分の一ずつになる。 これが自由。

次にまた同じような行動選択があったとする。 前回「殴る」を選んだ人は
また同じように「殴る」を選ぶとする。 次もまたそれを選ぶ。 ある時
選んだ選択肢が、その後その人が選ぶ選択肢となると。 これが個性。
「ランダムに選ぶのを続ける」もまた個性か。

同じ「泣く」でも周囲に人が居る状況とそうではない状況とでは結果が
違っていたとする。 周囲に人が居る場合は「泣く」が有効だと記憶する、
これが学習。

周囲の利用を積極的に行うのが知恵だな。

まとめて書くと、人は自由に選ぶがそこには個性があり、結果に応じて
学習し知恵を身に付ける能力が有る、となる。
人が知恵を身に付ける、これなにげに「自分のために他人に殴らせる人」の
完成である。

「殴る人」同士の争い以上にたちが悪いのが「殴らせる人」の争いである。
これが欧米では弾圧的とされる中国の内政に安定を求める理由であり世界の
各地で米兵が死に続ける理由でもある、としている。

さて人の死の話に戻る。
アル中による死は一種の自殺だな。 現状否認から自壊傾向を強めていき
そうなるのだから結局まあ、そのようなものなのだと。
ここで主観、共感、客観の社会認識三分類を持ってきて当てはめる。
アル中死を主観崩壊の死と置く。 するとボケによる死は共感崩壊となる。
では中国状態は残りの一つ、客観崩壊が当てはまる事になる。 宗教的表現
を用いるなら社会の無明化だな。 一般に事故や殺人事件は社会の局所的な
これで起こる。 中国は無明社会なのか。 是とする。 されならば「中国
の内政安定化は無明社会のままの固定化になるのではないか」と問われる
だろうか。 これに対して私は「中国人に対し中国に取って代わろうとする
近代西洋もまた無明社会である」としていると。

さて人が死ぬ直接の理由で最も多いのは病死のはずだわな。 これの多くは
主観崩壊でも共感崩壊でも客観崩壊でもない。 これらは人が生き続けた先
に訪れる精神の死であると。 一般的な人の状態を「人足らず」だとした。
機械で言う所の不良品、部品が足りていない状態なのだと。 同時に摂り
込み過ぎも有るのかな。 旧来人の多くは崩壊死を迎える前に死んでいた。
それだけの事か。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする