大磯の高来神社(旧高麗権現)に行った。数日後、箱根神社を訪ねた。東海道分間延絵図に高麗山の山頂に高麗権現、その下に伊豆権現・箱根権現が描かれていて、その結び付きは強かったと云う。
箱根神社のH・P縁起によれば、「人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされ、奈良朝初期、天平宝字元年(757)万巻上人は、箱根大神様の御神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、仏教とりわけ修験道と習合しました。鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えた」云々とあり、さらに「明治の初年には神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称された」とある。人皇第五代孝昭(孝照)天皇の御代云々は建久二年(1191)箱根権現別当行実が編纂した「筥根山縁起并序」に箱根山の由来や箱根神社の成り立ちが記載されている。
この本を探したら近代ライブラリー「群書類従巻一の二十五」に載っていた。「原夫扶桑之津、湘江之西、相州西富郡足柄」、一文字目から何て読んだらいいのか解らず、スタートからつまずく。相模に西富や足柄の地名があるが、西富は今の藤沢から平塚附近の古い地名だったらしく、湘江は相模湾一帯を指すとして、原はなんと読むのか解らなかった。字源を見ると、「厂」(がけ)+「泉」で崖から水がわくことを意味し「源」の原字だという。さらに調べると「淮南子」に「原、本也」とあるという。「原夫」は(モトハソレ)とでも読むのかと思っていたら、「原」は(~のもとをたずねるに)という文体だという。結局、よくわからないまま、小田原駅前から箱根に行った。小田急グループの箱根登山バスと伊豆箱根鉄道系列の伊豆箱根バスがあり、箱根一日バスフリー券が安い伊豆箱根バスで行った。この二社のバスフリー券は共通でないため、それぞれのバスにしか乗れず、荷物を持った観光客が戸惑っていたのは気の毒だった。これでは観光地が泣いてしまう。箱根神社に大勢の若い女性が多くお参りしていたのにはビックリした。恋愛運に効果が高いパワースポットだと宣伝しているのだろうか。
(右)箱根権現縁起并序訓読本(箱根神社編集「箱根の宝物」より)
箱根権現縁起絵巻荻野政家本(箱根大権現)
神社の宝物館に「筥根山縁起并序」の複製が展示してあった。「原」に(タツネシハ)と訓読みが附ってあった。訓読み筥根山縁起の「もとをたずねれば」という読みでやっと意味が通じた。もう一つ、箱根神社所有の「筥根山縁起并序」には「足柄郷」と郷の文字が入り、神社にある伊勢氏綱(北条)や徳川家康の社殿造営棟札にも相州西富郡足柄郷筥根山東福寺三所大権現とある。明治元年(1868)、神仏分離により別当寺である金剛王院東福寺は廃寺となり、箱根神社と称しているので、相州西富郡足柄郷と云うのは筥根山東福寺三所大権現を表す特殊な地名だったのかも知れない。
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