白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(437) ミヤコ蝶々「おんなの橋」

2023-04-18 13:26:45 | 思い出

ミヤコ蝶々「おんなの橋」

芦屋凡々こと中村朋唯さんより古いパンフレットを貸していただいた中に 僕の名前〜演出補吉村正人〜がスタッフの一人として明記されている作品を見付けた 昭和58年10月南座公演「おんなの橋」がそうだ 何故梅田コマ文芸部の僕が松竹の作品のスタッフに入ったたかは記憶にない 当時「売れっ子」だった脚本の大西信行先生の引きか、あるいは制作に故大谷幸一さんの名前があるので彼の引きかも知れぬ 実は僕はこの作品の初演のスタッフなのだ 梅田コマに入ってすぐの昭和52年サンケイホールでの「蝶々リサイタル」の手伝いに行かされてその中のお芝居がこの作品の原型「大阪の橋」であった 第一部で使う屋台を高津小道具に注文したら後に関西美術を興すSさんが「人生双六」で使う屋台を持ってきた そう言えばこの「リサイタル」を制作したのは我らが師匠竹内伸光であり、その事務所「ショウビジネス」のスタッフの一人が大谷さんだった

昭和58年の8月に中座で「おんなの橋」と改題して再演 日向鈴子作・演出 大西信行脚本 この時に当時天笑と名乗っていた三代目天外が出ていて花道で出を待っていた蝶々先生が僕の耳元で「観てみい、親がダイコンなら子もダイコンや、何とかならんか」と言ったのを聞いた記憶があったので新喜劇の公演記録をみてみたらこの月新喜劇は演舞場に出演していて天笑も出演していた では天外=ダイコンの話をきいたのはいつの中座であろうか?

一杯セットの大阪堂島川にかかる水晶橋がいわば主人公  彼(橋)が見守る戦前、戦中、戦後にわたる様々な人生

第一部 いとはんの橋

第二部 かあさんの橋

第三部 たそがれの橋

この「おんなの橋」の大劇場版(中座、南座、名鉄)は好評を得てその後何度も再演された そのうち何度かお手伝いした記憶がある 

ある時大西先生がその後の再演作品に大西信行脚本の名前が無い、名前を復活してギャラを払えと松竹を訴えたことがある 確かに昭和60年名鉄ホールでは「日向須津子作・演出」となっているし、関西の役者岡大介さんより頂いた中座の平成二年の台本には日向すず子作・演出となっている

当時の中座のパンフレットの松竹永山会長の挨拶文によると「今回は日向鈴子ことミヤコ蝶々さんの原作を俊才、大西信行氏がこの公演のために密度の高い娯楽大作とすべく練りに練り上げて脚本化した愛と感動の珠玉編」云々とあって当時一般的ではなかった日向鈴子=ミヤコ蝶々の箔を付けるために大西先生の名を使ったのは明白で例え実際は演出補のOさんやNさんが口述筆記したものであってもこの裁判は大西側の勝利であった 

ここで僕の疑問だが初演のサンケイホールでの「大阪の橋」の口述筆記は誰がやったのか? 怪しいのは竹内伸光先生?

僕の勝手な推論、昭和48年「女ひとり」の大ヒット以来日向鈴子原案口述、竹内伸光台本化 たまには逢坂勉さんが手伝った

因みに昭和58年というと梅田コマの公演記録を見ながら思い出してみると1月鶴田浩二公演「関の弥太ッペ」、3.4月JACミュージカル「ゆかいな海賊大冒険」6月北島三郎公演「北島三郎おおいに唄う」7月細川たかし公演芝居「北酒場」8月中座ミヤコ蝶々「おんなの橋」10月南座ミヤコ蝶々「おんなの橋」11月村田英雄公演芝居「人生峠」12月ファミリーミュージカル「愛のシンフォニー」    よくやるわ!!

 

 


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