白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(436) 小松政夫のこと

2023-04-13 10:40:33 | 人物

小松政夫のこと

 平成元年の日本香堂は熊谷真実一座の旗揚げ公演だった この公演が翌年からのコロナ禍の影響で日本香堂の最後の作品となろうとは!  そして翌年亡くなった小松政夫さんの最後の作品になろうとは!!

この公演の顔合わせが終わって小松さんが演出の僕とプロデューサーを呼び役の変更を申し出た この公演は二本立てで一本は岡本さとるさんの書き下ろし明朗時代劇「おくまと鉄之助」と堤泰之脚本・吉村演出の「煙が目にしみる」だ それに熊谷真実の口上、小松政夫の「でんせん音頭」「しらけ鳥」速水映人の女形舞踊、音無美紀子の歌謡喫茶、などのショウが付いた三本立てだ

 小松さんの言い分は先月の博多座公演の疲れが取れす、「煙が〜」の北見役がセリフ量が多く覚えられない、もう一本の時代劇は自分の宛書きに近く頑張って演るのでもっと軽い役に変更してくれという この北見役は小松さんが日頃言っている「自分の演技は笑いの奥にある人間の悲しみを表現することこそが大事と気が付いた 哀愁こそ人間が背負う人生そのものと思った」にビッタリな役だと思っていた僕は何とかやってもらえないかと頼んだがガンとして聞いて貰えない 仕方がないので北見役を曽我迺家八十吉に廻し、八十吉の役をアゴ勇に アゴの役を小松さんにやって貰うことにした したがってこのポスターの役どころが本番とは違ったものになった ところがこの変更はまるで最初から決まっていたかのようにはまった 八十吉もアゴも小松さんもピッタリだ 僕はこの巡業中ずーっと公演に付いて廻るほど気に入っていた 

勿論北見役はあまりにも小松さんにビッタリの役だが これをキチンと演じると二本とも「いい役」になってしまう、まるで小松さんの座長公演になってしまう、これでは新座長の熊谷真実が立たない そこまで考えてゴリ押ししてくれたのか‥‥と気が付いたのは翌年彼の訃報を聞いた後だった

我々の勉強不足で彼が「日本喜劇人協会会長」だったこともその訃報で知ったしかしこの歴代の会長の顔ぶれを見よ!

榎本健一、柳家金語郎、森繁久彌、曾我迺家明蝶、三木のり平、森光子、由利徹、大村崑、橋達也 小松政夫   (現在は空席)

この点で小松は師匠の植木等を抜いた

1942年博多の街で生まれた小松は子供の頃から「蝦蟇の油売り」や「バナナの叩き売り」などが香具師の口上を覚えては友達に披露するような子供だった

 俳優になろうと俳優座の試験に通ったが入学金が払えす諦め、職を転々としたあと横浜トヨペットに就職、トップセールスマンとなり大卒の初任給が1万円の時代に月収12 万円を稼いて何不自由なく暮らしていた頃「植木等の運転手兼付き人募集!やる気があるなら面倒見るよ」との週刊紙の3行広告に応募、  芸能界の夢を諦めきれないでいたのだ 

植木のことを「おやじさん」と呼び実の父親のように慕った 云うことは何でも聞いて「明日からはタバコ辞めろ」と云われた時もスパっと禁煙した

植木の仕事を身近で学び、4年で独立 ユニークなギャグで時代の寵児となった

「どうしてなの おせーて、おせーて」

「イヤ!イヤ! もうイヤこんな生活」

「知らない 知らない 知らないモーッ」 

「シラケドリ飛んて行く 南の空に ミジメ、ミジメ」

しかし彼の本当にいいところは「人生の悲しみを全身から発して芝居をする」舞台の脇役で発揮された

 


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