天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

帚木蓬生著『守教』広琳寺住職隠キリスタンに教え尋ね答えを聞き「仏教えと瓜二つ得心その教え守る」に感動

2021-05-30 09:47:43 | 日記
今日の日記は、今読んでいる帚木蓬生著『守教(下)』で書かれている私が初めて知った江戸時代の檀家寺一僧侶の隠れキリスタン檀徒へのとても深い愛情を込めた行動の事です。添付した写真は、その著書(新潮文庫・2020年初版刊)の表紙です。
私は、江戸時代の隠れキリスタンの存在は、天草の乱で象徴されるよう九州の長崎地方に特有な現象だと今まで思っていました。しかし、北九州筑後大刀洗地方の今村では、村落全体が隠れキリスタンの里だったと、この著書を読んで私は初めて知りました。そして、私の歴史の不勉強ぶりを今痛感します。
以下に、その隠れキリスタン庄屋が、寺の住職を訪ねたくだりで、私が深く感動した二人の会話他の一部を、少々長くなりますが引用掲載します。
『七・宗旨人別帳 寛文五年(1665年)7月:広琳寺は小ぶりな寺で、今村と高橋村、平田村に囲まれるようにしてあった。広琳寺が何宗かも、鹿蔵は知らない。いやそもそも、寺にどういう宗派があるのかも鹿蔵には分からなかった。・・「住職の円仁です。ほんに今日はよくいらっしゃいました。いろいろ事情のあったこつは、重々承知しとります。実は、磔刑になる前お父上の道蔵殿が、ここに見えられました。自分は今から御法度のイエズス教徒であるこつば、お上に訴え出る。それでいずれ今村の百姓たちは、広琳寺のお世話になるけんで、その節は重々お願い致しますと、言われました。私はうろたえて、思案した挙句、その教えがどげなものか、教えていただけんでしょうか、ちいう質問をしました。道蔵殿は、”自分を、神の手の中の小さな道具にするちいうこつです。私たちは、デウス・イエズスの筆先に過ぎませんから。” 私はそれば聞いて、仏の教えと瓜二つだと思いました。人は仏の小さな道具、小さな筆先、人の行いは大河の一滴、しかしその一滴がなければ、海はその一滴分、少なくなる。それで、拙僧は答えたとです。よく分かりました。その教えば守りまっしょと。あんときの道蔵殿の安堵した顔は忘れられまっせん。ですけん、あのとき命を賭して道蔵殿が拙僧に頼まれたこつは、以来ずっと三十五年間、守り通しとります。これから後の住職にも、広琳寺の是として、代々守らせていきます。心配なさらず、突き進んで下され。」住職の声が快く耳に響く。庫裏まで来て、鹿蔵は今一度頭を下げた。』
私は今まで半端な知識では、江戸時代の仏教界は隠れキリスタンにはその弾圧粛清のみしており、自身達の宗教界での勢力拡大を図っていたと思いこんでいました。しかし、広琳寺(注:現在も現存しており、宗派は真宗大谷派)住職円仁和尚のようなとても奇特な方がいたと今回初めて知りました。そして、古来からある日本人の「神仏混合」みられるような宗教観が、円仁和尚には異国のキリスト教にまで及んでいたと、今強く得心しています。また、イエズス会を守教したのは、信者だけでなく仏教の僧侶もいた事実に、私は深く感動しています。
だから、最近起きたイスラエルとパレスチナ自治州の紛争も、八百万の神を信仰する日本人には、あまり理解できない出来事だと個人的には思っています。そして、私は円仁和尚を生んだ日本国に生まれて来て、とても良かったと今強く思っています。
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